岡山大学大学院医歯学総合研究科ヒトES細胞倫理審査委員会 第3回委員会議事録
 
日時:平成16年2月23日(月)午後1時〜3時
場所:歯学部棟2階第1会議室
出席者:A,B,C,D,E,F,H
欠席者:G,I
 
資料:岡山大学大学院医歯学総合研究科ヒトES細胞倫理審査委員会第1回議事録(案)
   岡山大学大学院医歯学総合研究科ヒトES細胞倫理審査委員会第2回議事録(案)
第2回議論の要点と合意事項のまとめ(案)
ヒトES細胞使用計画審査項目及び基準(素案)
「ヒト胚に関するシンポジウム−生命倫理専門調査会中間報告について」 
 
A : それでは時間になりましたので,第3回大学院医歯学総合研究科ヒトES細胞倫理審査委員会を開催いたします。まず,議事録の確認ですけれども,皆さんに修正して頂いた第1回目の議事録の保存版,第2回目の議事録について,これでよろしいでしょうか?
   それでは議事録についての確認を終わります。
    次に,前回第2回目の委員会の議論の要点と合意事項のまとめ,資料2を見ていただきたいと思います。
 前回申し上げましたように,毎回このようなまとめをつくって確認しながら先に進んでいきたいと思います。議事録をざっと振り返りながら,何が決まったのかということをまとめるという作業を私がしまして,ここに文案をお配りしております。何か御意見ございますでしょうか。
 まず第1点としては,本委員会のあり方をさまざまに検討したということ,第2点としてはその検討結果に基づいて以下の2点を決した。1つは,規約を4分の3以上の賛成によって決するということに改める。2つ目は,構成委員を追加するということであります。それから3番目は,議事録に関することですけれども,テープを起こしたものに最低限の修正をして保存版とする。インターネットでの公開をどうするかは継続審議とする。4番目は,第1回目の議論の要点と合意事項のまとめを了承したということであります。
 何か追加はございますでしょうか,あるいは修正があれば。よろしいですか。
 それでは,これもお認めいただいたということで,保存することにいたします。
 今日の第3番目の議題はいよいよ具体的な審査の中身に入っていくことになります。その前に,2月15日に「ヒト胚に関するシンポジウム-生命倫理専門調査会中間報告について」というシンポジウムが神戸で行われました。これは総合科学会議の専門委員会で現在ヒト胚の取り扱いについての検討が行われておりまして,そこが昨年の末に中間報告を出したんですね。今,パブリック・オピニオンを求めているという段階です。それに並行して東京で1回,神戸で1回,公開シンポジウムを催して,一般の市民まで参加を呼びかけてそこで市民から意見を聞くということと,同時にその場で各委員がいろんな意見を述べるというような趣旨の会でありました。
 本委員会にも関係しておりますので,私が出席いたしまして,D先生も出席されて,聞いてきたわけです。せっかくそういう話を聞いてきたので,どういう議論があったかということを少し皆さんにお知らせしておいた方がいいかと思って,全く私が個人的に感じたことをそこにまとめたものをお配りいたしました。資料3-2です。
 1番に,シンポジウムはこれこれであるということと。
 2番に,ヒト胚については以下の規制があるということです。これはシンポジウムに直接関係ないんですけど,「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」というのがございまして,これはクローン胚を作成することを罰則付きで禁じています。その法律に基づいて,「特定胚の取り扱いに関する指針」というのができておりまして,これは一言で言えば特定胚を子宮内に移植して個体を発生させるということを禁止しているというふうに私は理解しておりますし,同時にクローン胚等を人工的につくってはいけない,当面つくってはいけないということになっていると思います。それを今現在検討しているということです。とりあえず,つくってはいけないということにして現在検討していると。
 それから,これは法律ではないし強制力もないんですけれども,「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」というのができておりまして,これに基づいて我々が議論をしているという,こういうのが今の世の中の流れであろう思います。
 それから,3に書いてありますことは,これはヒト胚の分類と定義を書いてありまして,このような中間報告等を理解するためには多少こういうことが必要かと思って,ちょっとつけ加えてあるだけです。ヒト胚というのは受精胚と非受精胚に分けることができると。特定胚というのは,これはかなり厳密に定義されておりまして,そこにあるのを全部含めて特定胚と呼びますということです。ごらんいただければ分かりますけれども,受精胚の一部も非受精胚もこの中に入っています。その中にさまざまな操作をしたものが入っているという関係になります。
 中でも,特に現在注目を集めておりますのは,このヒトクローン胚です。ちょうどこのシンポジウムの数日前に,韓国でヒトクローン胚からES細胞を樹立できたというニュースが世界中に流れまして,それが大きなインパクトとなっているわけですね。ヒトクローン胚からES細胞をつくるということは治療の面から見ると非常に大きなポテンシャルを開く,免疫のバリアを乗り越えるということで非常に大きな意味を持っているわけでして,そういう時代を前にして日本としてどうするかということが今の議論の一番中核部分であろうかというふうに思っております。
 それで,4以下は内容のサマリーですが,もうお読みいただいたと思いますので詳しいことは申し上げません。ヒト受精胚の地位,人の生命の萌芽と位置づけるわけですけど,そこにもいろんな意見があるということです。
 ここは今日の議論にも非常に大事でありまして,結局人に尊厳がある,どのような意味での尊厳かということから出発して,ヒトの胚というものがあり,そのヒトの胚を滅失して得られるES細胞というものがあると,そういう関係になっておりますのでかなり重要な意味を持っているわけです。
 それから,研究目的のために受精胚をつくることが許されるかどうかということに関しても,いろんな議論がございました。
 あとは,クローン胚の問題,それから着床前診断の問題,それから規制をどうするか,これは法律によるか指針によるかというようなことがございました。
 それから,フロアからもさまざまな意見が出ました。そこに書いてありますように,やはり病気に苦しんでいる関係者を持つ人は積極的な推進論者が多いと。これはよく理解できることですけれども,そういう傾向がございました。
 あとは,情報提供に関する要望とか,それから例えば遺伝性疾患の場合はむしろ社会のケアの方に力を入れるべきではないかということもございました。
 それから,インフォームド・コンセントのあり方についても厳しい意見がございました。
 我々がES細胞について審査をしても,恐らくはこのようないろんな意見があるということが予想されますので,それも意識しながらここでの審議を進めていければと思っております。
 以上がその概要でございますが,D先生に追加の御感想なり,インフォメーションをいただけばと思います。よろしくお願いします。
D: 私も,個人的な興味もありまして参加させていただきました。シンポジウムに出られていた委員の方々の意見を私なりにまとめてみますと,両極端に分かれる傾向にあると感じました。研究者側の方の,すなわち胚を使う方の方々の意見というのは,技術的にはほぼ完成しつつあるから,より進められていく段階にありますということを言われています。その一方,文科系,特に法律関係の先生方の方がいろいろ倫理的な問題とか,あと法的な整備ができてないということを述べていらっしゃったのが印象的でした。
 その後,フロアからの質問というのがあったわけですけども,こちらの方も若い方,それからお年寄りというか中年以上の方,2つのグループがあったように思います。若い方々の中には,今委員の方々の姿勢は2つに分かれていますと言いましたけども,そちらの2つに分かれているものが明らかに出てきておりました。若い方の中にも,倫理的な問題をいろいろ悩まれている方がいらっしゃると思いました。そして,中年以上の方々の意見の部分ですけども,これは家族の中にもしくは身近な方に病気を持たれている方がいらっしゃる場合には,どんどん進めていっていただきたいというものが多くあったように思います。
 ただし,女性の立場からの御意見というのは非常に心を引いたものがありました。それは,A先生の資料にありますけども,一番最後のこれですね,京大のインフォームド・コンセントを求める際のビデオについてですが,情報が偏って伝えられていて,いい部分だけをもってインフォームド・コンセントをやっているという印象をもったことが指摘されていたように思います。このことには十分に気をつけて進めていかなくてはいけないと感じました。
 あと,大体質問された方々の要点をこちらの方に書いているんですけども,まだ自分自身ではきれいにまとめ切っておりません。もし興味あられる方がいらっしゃいましたら,この資料をお渡ししますので見ていただいたらと思います。
 以上です。
A : どうもありがとうございました。
 当日渡された資料はこれでして,もともと「中間報告書」というのがこの冊子となって配られて,それに当日のためのこの資料がございます。この資料は,それぞれの委員が簡単に御自分の考え方を紹介するという時間があったんですけど,それをもうちょっと分かりやすくまとめてあります。これを見れば,委員の間で意見がいかに違うかということがよく分かります。もし興味のある方は,私もこれ持っておりますので,渡しますので,どうぞごらんください。
 それから,「中間報告書」,これは恐らくホームページ上で公開されていると思いますので,いつでも皆さんごらんになれると思います。この中にも,たしか少し少数意見は載っていたと思います。それぞれ委員の意見が載っていますので,これを見ればそれぞれの人の意見が分かります。この報告書はダウンロードできますから。ご希望があれば事務にお願いしてコピーをお配りいたしますが・・・。
 それでは,コピーして皆さんにお配りいたします。
D: A先生,大分書かれていらっしゃいます,中に。
A : いや,ここにちょっと色を塗ったぐらいで,ほとんど書いてません。
D: もしあれでしたら,汚い字ですけど私のメモがあるやつの方が,臨場感あふれるような形でちょっと書いていますんで。
A : ああ,そうですか。その方がいいかも知れませんね。
D: 少し汚いんですけども。
A : それじゃ,D先生の方をコピーして,雰囲気まで味わっていただいたらいいと思います。よろしくお願いいたします。これは参考資料ということでお渡しいたします。
 今のD先生のお話に一言付け加えさせて頂きます。私の印象は,賛成,推進派とやや慎重派というように分けるといたしますと,確かに結構分かれているんですけど,余り研究者と法律家で分かれているという印象ではなかったんです。法律家の中にも,むしろ結構推進というか,消極的推進論者かな,余り規制してはいけないという明確な御意見を持っている先生がいらしゃいました。逆に,研究者の中にも,あそこに来ていた研究者で推進派というと西川先生だと思うんですけど,実際にやっている人は1人しかきていなかったんですね。勝木先生も実際に研究やられている方だと思いますけれども,やや慎重派のようです。法律の方も意見が分かれているし研究者の方も意見が分かれているんじゃないかと,そういう印象だったんです。実は僕は専門分野で分かれるのはまずいなと思って見ていたんですが,実際にはそういう形で分かれてないからそれはそれでよかったかなと思っています。
D: 確かに勝木先生が研究者の中で慎重論者であるというのはそこで報告されていましたし紹介されていましたが,逆に勝木先生の御意見を聞きたいなと,伺いたいなと思っていた部分があります。ただ,京大の中辻先生がフロアから発言されたときには,ちょっと研究者側を擁護する姿勢が出過ぎていたような気がしまして。
A : そうでしたね。
D: ちょっとネガティブな印象を持ちました。
A : 中辻先生は,皆さん御承知のようにこの我々の審議対象と非常に深い関係がありますけれども,日本で唯一樹立機関としてヒトES細胞を最近樹立されました。その先生も来られていてフロアから発言されたんです。ちょっとまずかったなと僕は思うんですけれど,フロアからの発言にもかかわらず長い時間をとって,しかもあの場にちょっとそぐわないぐらい強い推進論を展開された,それが多分印象が余りよくなかったんじゃないかと思います。ただ,あの先生は委員ではありません。
ということで,資料をお配りいたしますので御参考になさってください。
それでは,そろそろ本題に入りたいと思います。今日の一番メーンな審議のテーマは,審査項目とその内容です。第1回の委員会で申し上げましたように,この委員会は使用計画を審査するために設けられているわけです。その使用計画の具体的な審理に入る前に,内部的にどういうことを我々は審査するのか,具体的にどういう項目について審査をするのか,それからその項目の中身は何を要求するのかということをある程度決めて,それから実際の計画の審査に入っていった方が,より公平な,より客観的な,審議ができるんではないかというふうに思いまして,そのように進めましょうという話になったと思います。これは議事録にも載っています。
 実際にこの場でどういう項目をつくりましょうかということをいろいろ言っていても時間がとられるだけですので,とにかく強引に勝手に素案というものをつくってみました。したがって,これは全くのたたき台でありまして,例えばこんなに詳しくやる必要はないという考え方もございますし,あるいはこれじゃ簡単過ぎるということもある。要らない項目もあるでしょうし,もっと項目を付加しなくちゃいけないこともあるでしょうと。だから,まず全体の構造から議論して,それから具体的なところに入っていったらどうかと思うんですけれども,そのあたりについて御意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
 前回も申し上げましたけど,委員長がしゃべり過ぎる倫理審査委員会というのは信用されませんのでよろしくお願いします。E先生,いかがですか。
E: 先ほどの点の確認ですが,クローン胚を作成することが法律自体で禁じられているというわけではないですね。クローン胚を子宮に戻すことが禁止されていると。
A : そうです。私の理解ではそのとおりです。
E: 「特定胚指針」でだめだというわけですね。
A : そのとおりです。だから当面はやらないけれども,それは審議の結果によればやるということもオーケーだと。だから,現在,クローン胚を作成して実験に使うということを認めるか認めないかということが非常に大きな議論の対象となっていると,そういうふうに理解しています。
 この案についての御意見ございませんか。
 どうぞ。
D: こうした案を見るときに,具体性があるものに関しては別段特に心配はしてないんですけども,具体性が少し揺らいでくる場所というのが一番困るわけです。
 例えば,3ページの一番上,これは多分これまでのこの委員会でも問題となったと思うんですけども,「礼意を持って取り扱うに十分な研究環境は整っているか」とあるんですが,その「礼意を持って」というのは個人によって非常に大きく違ってくるわけですね。この大学院医歯学総合研究科の中でどのような研究環境であればいいかというのは,少なくとももっと具体的に出せると思うんですが,いかがでしょうか。
A : そのとおりだと思います。だから,それをもう少し具体的なところまで踏み込んでここである程度決めておいた方がいいだろうと思います。
 ばらばらとやっていくのも何ですので,まず全体の構造についてです。こういう感じで基準を決めておいた方がいいだろうということは一応中身が全然ないままそういうふうに合意をしたので,それに基づいてこういうものをつくってみたわけです。
 まず,前半に総論的な基本的な考え方というものを置いて,後半に具体的な検討項目というものがあります。これが大きな構造ですね。全体からだんだん見ていって,最終的にはこの具体的な検討項目を一つ一つやっていきたいと思っています。だから,今,D先生がおっしゃったことは,その項目のところでどの程度具体的に詰めるのか,どういう形であればいいのかということを検討したいと思います。
 この検討審査項目及び基準というのは,きちっとした文書にして公開する。これから使用計画を出す方もこれを見て参考にしていただく,あるいはそういうあたりからクレームをいただいてこちらで修正すべきは修正するという格好にしたいと思っているんです。その意味では,かなり大事なことで,一つ一つの文言も重要だと思っております。
 基本的な考え方というものを置いて,その後に具体的な項目,この構造自身はよろしいですか。
H: ちょっといいですか。
A : はい,どうぞ。
H: 前回,文科省専門委員会の議事録に目を通すと大変参考になるというふうに教えていただきましたので,ざっとなんですけれども私も一応見ました。「ヒトES細胞研究の使用計画申請に関するQ&A」というものが専門委員会の中でつくられて,ホームページで公開されています。その中で,倫理審査委員会としてはヒトES細胞研究についてある程度共通認識を持つように,ヒトES細胞がヒト胚から樹立されるという背景についての考察,それから指針の理解,情報公開のあり方,研究計画の審査に当たってどう考えるかということを検討すること,記録も申請のとき一緒に提出しなさいと書いてあります。情報公開についてはこれまでも議論をちょっとしていますし,多分これからも続くでしょう。
 今回先生が出してくださった案は,指針の理解とか審査に当たってどう考えるかという検討に当たるのかなというふうに理解されます。そうしたときにもうちょっと大きな,ヒトES細胞がヒト胚から樹立されるという背景についての考察という部分についてもう少しやりとりをしないといけないんだろうと思います。この総論の部分でそういう議論をまずやりましょうということであれば,そこに含まれてくるでしょうし,そうではなくて直接審査項目というふうになってしまうと,ちょっとチェックリスト的になってしまうと思うので,その総論的な議論をしておく必要があるのではと思いますね。そこだけ整理していただければ,多分,これは時間も大変かけてつくってくださったんだと思いますし,こういう案があると大変議論がしやすいのでありがたいなと思います。
A : ちょっと今の一番肝心なところがよく理解できなかったんですけども,つまりヒトES細胞の何を詰めた方がいいとおっしゃったんでしたっけ。
H: ES細胞のというか,倫理審査委員会ですので,この言葉をそのまま使えばヒトES細胞がヒト胚から樹立されるという背景についての考察が必要だというふうに書いてあったので,それは多分多少抽象的,総論的なところについても,この案でよろしいねという程度ではなく,委員の意見の交換が必要なのかなというふうに思ったということです。
A : その背景というところは,1つはいわゆる実験的な生物学的なプロセスの問題がありますね。つまり,ヒトES細胞というのがどのようにして,例えば胚を何個ぐらい滅失してどういうところからとってきて,どういうようにしてメインテインされるのかとか,それがどういうポテンシャルを持っているのかとか,そういういわゆるサイエンティフィックな部分がありますよね。もう一つは,倫理的な側面でヒト胚というものが先ほどから話が出てますようにある種の尊厳を持っていて,ヒトES細胞はそれを滅失して得られるわけだから,それは例えば普通の動物細胞と同じように扱えないだろうというような,そういう倫理的な側面があると。その両方の背景という,そこでのコンテキストで背景というときにはどちらを主に指しているんですかね。
 僕は,確かにその両方必要だと思っているんです。特に,倫理的な側面については非常に大事だと思いますので,そのことが基本的な物の考え方の1番と2番なんです。1番が,ヒトES細胞の尊厳についてで,本当に尊厳があるのか,あるとすればどういう理由によるのかというようなことをここで総論的にお互いに理解しておいた方がいいだろうということです。だから,私自身としては,今これで,はいよろしいですかと言って次の詳細な項目に行くつもりは全然ないんです。今ここから始めようと思っているんです。1番からね。
H: 失礼しました。
A : いやいや。それで,先ほどは1番目に言ったんですけど,ES細胞のサイエンティフィックな側面,それについては実はここには入っておりません。それはやはりちょっと入れておくがいいかなと僕自身も思っているんですね。例えば4番のところでヒトES細胞の由来と書いてありますけど,これは要するにどこからもらうかというような話になっておりまして,本来はこの一番最初に生物学的な背景というのが入ってなくちゃいけないなと。どのような指針を見てみても,大体最初にヒトES細胞とはどういうものとして理解するのかということが入っていますので,確かにそこがちょっとあった方がいいかもしれませんね。
 C先生,何か御意見ございますか,全体的なレベルで。
C: 繰り返しになるかもしれませんけども,この総論の一番最初の基本的な考え方のときに,ES細胞とはどういうものかという,そういう定義といいますか,何かそれをやはり書いておく方がいいように思いますね。
A : そのほかにございます。
 それでは,いよいよ本論ということなんですけれど,具体的なことをやっていく中で,また最後に全体を見直してみるということで,具体的なことをやってよろしいでしょうかね。
 そうすると,今御指摘をいただきましたように,一番最初にES細胞とはどういうものかということをもう一度はっきりしておきたいと思いますけれどこれはどういたしましょうかね。
 一部には,実際にES細胞を使って実験をしておられる先生もいらっしゃるわけですけど,全体の理解ということが非常に大事なので,むしろ専門外の先生のお考えあたりから伺えたらいいなと思うんですけど,いかがでしょうかね,ES細胞とは何ぞやということを言っていただきましょうか。
 F先生。
F: 先ほどの委員長の御発言だと,最初にサイエンティフィックな側面からES細胞の定義的なものを置くということでありますので,それはやはり専門家の方がきちんとした定義を置かれた方がよろしいんではないかと。私は自然科学者ではございませんのでその点は分かりませんので。
A : このES細胞の定義そのものはある意味では比較的簡単なわけですね。サイエンティフィックな定義というのは,要するに胞胚期,胞胚という時期の内部細胞塊,つまり将来胎児のすべての成分を形成する能力を持っているような細胞集団を培養系に移して,それで培養を始めます。ある特定の培養条件下で培養いたしますと,最初の細胞の性質が全然変わらないで,現在のところ半永久的に維持できるということになっております。もちろん,培養のコンディションが少し悪くなるとすぐに分化してしまいますけれども,今のところはコンディションにさえ注意してやれば,半永久的に増殖ができて,その一部は自由に凍結保存ができる。ヒトのES細胞では凍結保存がうまくできなかった時期がありますけど,現在ではそれもほぼできるようになったと。
 それから,この培養条件に関しては,これは細かいことですけども,フィーダーセルといって別な細胞と一緒に培養することが必要だったんですけれども,最近はマウスはもちろんヒトでもフィーダーフリーでやることができるようになったということですね。そのES細胞というのは染色体は2倍体性を保っていて,いわゆる正常の細胞集団であって,それを初期胚に移植すると,体のすべての組織をつくり出すのに参画するということになっております。そんなところでしょうかね。
 何か,以上のこと対して補足的なご意見がございましたら。
 正確には,もう少しきちっとした定義を次回までにここに入れたいと思います。ここで御理解いただきたいのは,先ほど言いましたように,ES細胞は非常によく増えます。半永久的に増えるというのは,実際に永久に飼った人はいませんし,もちろんES細胞ができてからそんなに時間がたってないわけですけれども,少なくとも通常の実験をしている範囲で言えば,ずっと維持できるということなんですね。あっという間に数が増えますので,皆さんに数を配るという面からいえば余り制限がないんです。それが非常に大きな特徴なわけですね。
 文科省の専門委員会の中でもそのあたりに多少誤解がある部分もありましたけれども,実質的に幾らでも増やすことができるということです。
 はい,どうぞ。
F: 法律をやっている者の観点から,今提出されている項目及び基準の素案を見ますと,基本姿勢,審査項目,それから基準ということのみならず,手続等,それからこれは本委員会の指針でありますから,制裁規定を設け得るのかどうかというのは議論の余地があると思います。定められた禁止事項に従わなかった場合の制裁,制裁というとかなり強く響きますけれども,それを検討する必要があるかと思います。例えば話が変わりますけれども,情報提供,守秘義務,個人情報保護との関係で,その一方で情報活用というようなことがあって,そういったときにいろいろ遵守事項を設けるわけですね。それを守らなかった場合には,以後の情報提供をあなたにはしないよという形の制裁を設けたりするわけです。そういうような,法的な罰ではないけれども,何らかの禁止事項違反に対する制裁的な要素を設ける必要があるのかどうかということですね。
 それから,繰り返しになりますが,どういう手続で審査がなされるのかと。その提出書面についてはもうあらかじめたしか使用計画書が書式が決まっていたと思いますけれども,それをどこにいつまでにという,審査がどれぐらいかかるか分かりませんのであれですけど,そういう手続的な面を少し書いておいた方がよろしいんではないかというのが私の感想でございます。
A : 分かりました。実際に,今御指摘いただいて,なるほどそういうところには余り頭が回ってなかったなと思いました。この中に手続に関する細かい規定を入れる必要は必ずしもないと思いますけれども,でも要点においてはどういう手続をする,しなくてはいけないとか,あるいはまた遵守事項をより明確にして,それに対してどういう罰則を与えるかということまでは難しいと思うんですけれども,少なくとも何らかのペナルティーがありますよということは意識して文言を選んだらいいと思いますね。それぞれの項目を検討しながら,その分を補足していきたいというふうに思います。
  ほかにございますか。少し全体的な観点から。H先生は何か。
H: 先ほど御質問しまして,どういう要素が含まれるかということが分かりましたので,内容に入っていただければと思います。
A : B先生は。積極的に女性の御意見を。
B: 全体的な構成はこれでいいと思います。具体的な検討に入っていいんじゃないかと思います。
A : それでは,大体全体的にはこういう感じでやっていくということで,先ほどES細胞,まず最初に書き改めてこの次のときにはまた新しいバージョンをつくっておきたいと思うんですけれども,総論の基本的な考え方というところの一番頭にES細胞というものはどういうものであるかということについての定義を書きたいと思います。
 それについては,これは恐らくバイオロジカルな話ですので,言葉の定義等は,使っている世界とか働いている場所,それによって多少,例えば「胚」という言葉を何日から何日までを「胚」というのかとか,そういう点での多少の言葉の違いはありますけれども,そのほかのことに関しましては余り基本的な違いはないと思います。先ほど私が要点だけ申し上げましたけども,それで話が済むのではないかというふうに理解しております。
 一番大事なことは,先ほどH先生が言ってくださったES細胞というものの背景です。特に倫理的な側面,ここが一番の要点,かなめのところでありまして,ここに書いてあることはどちらかというと,指針及びその指針の検討過程の中から出てきた考え方を要約しているようなものなんですね。これは必ずしもそういういき方がよいわけではなくて,私はここに書いてあるのはあくまでたたき台として書いているんです。だから,ここに関して,異論があればちゃんと出して議論をした方がいいし,モディファイした方がいいと思います。指針を中心にして物を書くとこんなことになるかなということですから。人には尊厳があると書きましたが,この尊厳の中身は議論されておりません。第1回のときに少しやりましたけども,その継続を今からやりたいと思います。
 「ヒト胚は,現在のところ民法上の権利主体や刑法上の保護の対象としての位置づけはなされていないが,人生命の萌芽としての意味を持つものであって,人の尊厳を一定程度保持している」,この一定程度という言い方も本当にそうなのかどうかということは大いに議論があるところでして,専門委員会の方でもこれはほとんど人と同じで扱うという意見から,それはもう全く違うものであるという意見までいろいろあるというふうに私は理解しております。
 「ヒト胚の研究利用は,人の生命の萌芽を操作するという点で人の尊厳に抵触しかねない。したがって,ヒト胚を用いる研究は必要性の極端に高いものに限って例外的にのみ認めるべきである」,これも一つの意見です。これもヒト胚の研究は一切認めないという御意見から,もっと大胆に認めてもいいということがあります。例えば,ここでは「極端に必要性の高い」と言っていますけれども,何が極端に必要性が高いのか,どの程度で線を引くのかという点についてもさまざまな意見があるべきだと思います。
 「ヒトES細胞はヒト胚の滅失によって樹立されるものであって,ヒト胚の尊厳を何がしか内包していると考える」,ここも議論になり得るところです。「したがって,ヒト胚及びそれに由来するヒトES細胞を使用する研究を進めるに当たっては,人の生命をその萌芽の段階から尊重しつつ,生物学,再生医学,生殖医学等に関する研究が倫理的に適切に実施されることを保障するための目的と条件,その他必要な事項を定め遵守する必要がある」というように一応書いてみました。
 今申し上げましたように,最終的な文章としてはそんなに長いものにはならないにしても,ここで大事なことは,この委員会で一つ一つの項目についてどのような議論が行われていて,最終的に皆さんのコンセンサスが得られるかどうかは分かりませんけれども,ある程度お互いにこういう考え方もあってということの相互の理解を深める必要があるだろう思うんですね。
 人の尊厳がどこに由来するかということを正面から議論をするか,あるいはヒト胚ということを考えながら,それを通して人の尊厳ということを見ていくかといういろいろな立場があると思うんですけども,人そのものあるいはヒト胚の尊厳というのは一体何で,どういうことを重視しなくちゃいけないかというようなことで,少し御意見をいただければと思います。
 日ごろいろいろ考えておられるでしょうから,E先生あたりから口火を切っていただいたらいいと思うんですけど。
E: 人間の尊厳という一まとまりのタームなんですね,本来。それに,最近では人体の尊厳,臓器の尊厳,組織の尊厳と,さらにはDNAの尊厳とか,尊厳のインフレになってきているんです。一般にこのように言われているんで中身を変える必要があるとは思いませんが,人間には尊厳があると,こういう言い方は一応できる。しかし,ほかの動物から見たらおかしいということになる。そこはおくとして,ES細胞自体に尊厳があるという言い方は少し変だろうというふうに個人的には思っているんです。
 いろんな会議とかでそういうことを言いましたが,「ES細胞は人間の尊厳に関係しているので尊重されなければならない」という言い方をするのが正しい言い方だろうと。尊重,実は尊厳というのは主体に対して使える言葉ですね,権利主体,義務主体等に。だから,生命を持っているもの,何か説明しにくいですが,人については当然言えますが,例えば時計に尊厳があるという言い方はしない。人間由来であるけれども,人体の一部である細胞は現にインターネットで売られているし,ES細胞もそのように扱われて輸入されて,これは金銭でやりとりされているわけですね。胚はまた別です。胚は法的,倫理的,社会的に主体として扱われなければならない要素がかなりありますよね。受精卵も胚も胎児もそうですが,これらと臓器や組織等あるいは人体の一部とは本来違うものだと思うんですね。
 しかし,ここに書かれてあることは,こういう言い方が一般にされているので,訂正する必要があるかというと,しなくてもいいとは思うんですが。
A : もちろん審議の時間が無限にあるわけじゃないので,あるところで終息させなくちゃいけないんですけど,今の時間はこの文言を正す必要があるかどうかということではなくて,もっと自由に議論して頂けたらと思います。この資料は,何も書かれていない空欄で出発するのはなんだから,一応ここに書いておいただけなんですよ。だから,この中実はとりあえず忘れて,ここにES細胞の尊厳,それが尊厳という言葉が悪ければ別な言葉にした方がいい,尊重でもいいんですけど,この空欄を埋めるとすれば,どういう根拠でどういう文章で埋めたらいいかということの議論をしていただきたいんですよ。
 つまり,一般的にこうだから特に改める必要はないということではなくて,先生はどうお考えなのかということが大事なんです。是非そういう観点からやっていただきたい。
 胚はかなり尊重すべき主体,尊厳があると考えてもよろしいんじゃないかと,先生そういうお話がありましたけれども,一方で人を殺す,殺人というのは絶対にこれは罪であるということになってますよね。だけど,胚は滅失することが許されている,ある条件下ではね。
E: そうですね。
A : 中絶も含めてですけど,中絶まで行かなくてももっと早い段階だと,例えばそれこそ不妊治療で受精胚をたくさんつくりますと,使わなかったものは焼却してしまうわけですよね。そこには何らの法律的な許可とか手続も要らないと。明らかに扱いが違うわけですけど,先生はそこについてはどう思われます。
E: 人間とそれ以前のものというか,まず胎児ですね,とは全く法的な取り扱いが違います。胎児と胚とも違いますね。胎児は基本的には堕胎罪の規定がありますが,胚についてはそういうものはないです。しかし倫理的には胚も胎児も受精卵もみんな主体,いずれ人になる可能性を持っているものなので,丁重にというよりも,ある程度尊厳らしきものを持っているというふうに,尊厳という言葉がより当てはまりやすいものだと思いますね。しかし,じゃ通常の細胞とES細胞の違いはどうなのかという,ここも倫理的には議論になり得るんですが,ほとんどされていないんです。やはり,胚そのものと細胞は,ES細胞も含めて違うだろうと思います。
A : ちょっと脱線するんですけど,今の先生の話で思い出したので,このことだけはコメントしておいた方がいいかなと思って。ES細胞というものは,最初のES細胞のバイオロジカルの生物学的な定義にかかわることですけれども,ES細胞だけでは個体にならないですね。ES細胞を初期胚に植えて初めて,その初期胚の細胞と一緒になってキメラの形で個体になるんであって,ES細胞単独ではどうさわってみても個体にはならないと。このことは御理解いただきたいと思います。将来の議論にも関係があるかも知れませんので,ちょっと余談です。
 それで,可能性ということですけれども,実は先ほど言いました神戸のシンポジウムで,フロアから,可能性と現実は違うんだと,だから可能性があるということと現実を一緒にしなくてもいいのではないか,胚というものは個体になる可能性があるだけで個体ではないという意見がありました。それについては何か,先生,コメントあります。
E: 可能性がある,にとどまる。それは胎児でもそうですね。生きて生まれて人になる場合もあるし流産する場合もあると,同じことではないでしょうかね。
 あとつけ足しですが,さっきのことですが,胚を滅失しても現在のところ違法ではないですよね。胎児の場合は一定の場合に違法になる,堕胎罪がありますから。
A : B先生,胚が可能性として人になる,それで人の萌芽であるという言い方を,この専門委員会でもいろんな議論をしてそういう言葉が最終的にいいかなと結論しているわけです。この言葉自身も反対する人がいるわけですけれども,胚が可能性として人になるというそのことについての感慨というか,どういうふうに思うかということはこの前のシンポジウムの議論をいろいろ聞いていると,男性と女性と随分違うんじゃないかと思うんですね。それで,女性の側に,それは女性にしか分からない感覚ですと言われると,なかなか男性としては反論できないところもあります。そのあたり,何かヒト胚についてどういうふうなお考えをお持ちか,聞かせていただけたらと思います。
B: 実は,私は講義で中枢神経系の発生から完成した脳に至るまでのすべての講義教育を行っているんですけれども,そういう観点から見ると,どこで線を引くかというのは難しいんですね。連続したイベントでその胚の発生から実際に誕生してくる脳,あるいは誕生しても脳というのは成熟していませんから,さらに20年ぐらいかけて成熟していくんですけれども,どこで線を引くかって線が引けないんです。そういう感覚からすると,出発点という感覚でとらえています。それが女性的な感覚なのか,そういう研究教育に携わっているからそういう感覚を持っているのかというのは分からないんですが,3カ月で線を引くとか何カ月で線を引くとか,そういう感覚はなかなか持てません。
A : そうすると確かに線を引くということは非常に難しいでしょうけど,一方ではどこで線を引くかと言ったら難しいんだけども,入り口と出口を比べるとかなり違うという感覚はあるわけですね。
B: それはその通りです。入り口と出口は全く違います。それをどのように捉えるかというのは,いまだに私にも「こうです」という簡単な言葉で説明できるような意見が持てません。ですから,皆さんの意見を聞きながら一緒に私自身もそのあたりを明確にしていきたいなと思っています。そうなんです,出口と入り口は全然違うんです。それを一方向の見方だけではなくて多方面から見て,やはり線を引かなければいけないのであれば,どこで線を引くのが妥当かというのは私自身も考えていきたいと思っています。発生という一連のイベントから見ると難しいんですね。非常に難しいんです。
A : C先生,何か御意見ございます。
C: E先生の先ほどの御発言で,尊厳というのは,要は人間としての個体となるポテンシャルをヒト胚は持っていると。だから尊厳があるという考えなんですね。
E: 人間になり得るので尊厳という言葉がフィットしやすい。
C: なり得るのでと,フィットしやすい。尊厳という言葉自体は本来はいわゆる権利主体というか,そういう個体じゃないものには使えない,定義的にはそうなるということですね。
E: 尊厳という言葉からするとそうです。これまでそうだったんだけども,最近生命科学の進展があって,こういう問題が出てきて,DNAの尊厳とか細胞の尊厳とかと言う人があらわれてきた。しかし,通常の細胞でも所有権が設定されるわけですね,誰のものかという。これは権利の客体,対象ですよね。と同時に,それも尊厳を持っているという,すっきりしない解決策になるので,そういうふうに考えるよりも尊厳という言い方はできないというか,しない方がいいんじゃないかと私は個人的には思っています,細胞等に関しては。
 それは尊重に値すると。人間の体から派生したものであるから丁重に扱う,尊重するという。しかし,誰かが所有するという所有権の対象になる。金銭というか値段がついている場合も当然ありますね。
C: それで,今,B先生の御発言は生物学的に見た場合,全然線が引けないというのは分かるんですけど,今度はE先生が,先ほどの胎児の場合だったら堕胎罪があるから一定条件では罪になるとかというのは,これは今度は法的な問題ということになってくるわけですね。法的な問題というのは,それはどういう経緯でそう決められたのかというのはちょっとF先生あたりの方がお詳しいのかもしれませんけども,堕胎罪とかそういう法律が決められた経緯というのをちょっと調べてみないと分からないと思いますが,だから何らかの形で法とかそういう規制をかけるときに,どこかで何らかの線引きを整理する必要があるからしただけのことということになりますわね。
 それで,またちょっと戻りますが,尊厳ということになった場合に,胚で個体になるポテンシャルがあるものに関しては何がしかの尊厳があると。E先生のお考えは,ES細胞はそれ自体では個体になるポテンシャルはないから,尊重のレベルでいいというお考えですか。
E: 胚とは取り扱いが違うだろうという,違ってもおかしくないというふうに思いますね。ES細胞はその成り立ちといいますか,もともと胚を壊していると,そのあたりからそういうものを背負っているというところではほかの細胞と違いますね。そして……。
C: 胚を滅失するという,そこのところで倫理的な問題が生じてくるということですね。
E: そうです。まさにそうですね。そこに生じていると。
A : 今幾つか面白いというか,重要な問題が出たと思いました。ひとつはES細胞の尊厳の由来が,個体になるかならないかということか,あるいはその由来ですね,胚を滅失して樹立されるということ。その点からからいいますと,おそらくは先の話じゃないと思うんです。個体にならないわけですから,人間の場合は。要するに最初キメラにしなくちゃいけなくて,キメラはこれは当然だめ,日本では特に厳重に禁止されていますし,世界じゅうでもほとんど禁止されていますからね。だから個体にはならないと。そちらから来るんじゃなくて,元の方から来てるんですね。要するに,胚を滅失して初めて得られたんだと。これが存在するためには胚がなくなった。その貴重な胚がなくなったということに対して,そこに思いをはせるというか,そういうことなんじゃないかと思っているんです。
 これちょっと余談かもしれませんけど,どういう理解をすればいいのかなと思っていろいろ考えていたら,ES細胞というものは何か石仏,石で仏様をつくるじゃないですか,その仏様のように思うんですよ。つまり,あれはもともと石でしょう。だから,本当は何も尊重する必要ないんだけども,多くの人,特に仏教を信じている人だと,やっぱりそれは非常に大事なものになっている。それ自体は何でもない,しかしその向こうに透けて見えるものがある。それが体現しているものがある。ES細胞も結局胚を体現していて,胚はポテンシャルに人間になるということから流れてきているのかなというふうに思って,自分なりにそう考えればひとつは理解できるかなと思っているんですけどね。
 それから,先ほどの連続性と線引きなんですけども,これも確かにそうだなと思って。医学でも歯学でも同じでしょうけども,例えばある状態が病気であるかどうかということの定義というのは,これも難しい話なわけですね。全部連続的なわけですから。それをどっかで切って,はいあなたは病気です,あなたはまだ大丈夫というふうに一応線引きをしている。明らかに,実際に携わっている人が分かっていることは,いろんな状況というのはほとんど連続的であるということでしょう。だけど,例えば病名がついて薬も飲まなくてはいけない,あるいは保険が適用できるというためにはどこかで線を引かざるを得ない。それと同じことかなと。つまり,B先生が言われたように,現象面をよく見るとやっぱり連続的なんですけれども,何かオペレーショナルに考えようと思うと,どこかである線を引いて,それで実際にやってみて,それが妥当であればそれでいいし,妥当でなければまた線の基準を変えるというようなことでやっていくのかなというように理解しています。
 3番目の問題の,先ほど僕ちょっと気になったんですけど,所有権ということで何か尊厳というのは定義できるんですか。つまり,尊厳のあるものは所有権が設定されないと。
E: ある生命体らしきものがあって,それに尊厳があるという言い方をする場合と,その所有権があるという言い方をする場合がある。両立するかというと,一般にはしないと思いますね。例えば,人間も死ねば死体になったときに死体の所有権の問題が出てくる。生きている間に,その人間そのものの所有権ということは言えないですね。
A : F先生は,法律の立場から今の話はどうですか。
F: いや,その所有権,ちょっと何か私の頭の中に尊厳と所有権というのは全く別個のキーワードとして存在するので,ちょっと質問の趣旨がとりにくいんですが,別に所有権と尊厳は切り離して考えればいいんじゃないかと思うんですけど。
A : 僕も全然所有権と結びついてなかったんですけど,先ほどのE先生のお話を聞いていて,そうだったら逆に所有権が設定できると思うのか思わないのかということによって,尊厳というのが規定できるのかなと思ったもんですからね。そうなりませんか,なります?
E: 概念的には別ですけども,一つのものに両方が成立するということは基本的にはあり得ない。
A : じゃ逆に,F先生に聞きたいんですけど,所有権というものはどういうものに対して設定できるんですか。
F: それはどういうものに対して,という問われ方をされると答え方が難しいんですけどね。
A : でも,人間はできないんでしょう。
F: それはできませんね。
A : なぜ。
E: 「人間は権利の主体」という言い方をするわけですよ。「権利」には所有権は設定できないですね,まず。「物」にしかできない。物に対して所有権は設定できる。じゃあ,人間は物かというと違いますね。しかし,これから切り離されたものは,人体から切り離された組織,細胞,がん細胞も含めて,は物として現実には流通して所有権が設定されて,商品になっている場合もいっぱいありますよね。
 分かりやすく言えば,商品であるものが尊厳を持っているのかと。権利の主体的な言い方ができるかという。実は,大いなるごまかしがあるわけですね,こういう言い方に。
F: ああ,なるほど。よろしいですか。今のE先生の御発言で大体話の流れがつかめました。
 私も,ヒトES細胞の尊厳とか,そういうような細胞に尊厳があるとかなんとかというのは,ある意味フィクションだというふうに思っていて,厳密な法律論を展開すれば細胞に尊厳なんかあるもんかというふうな話になるわけです,人でもないんだしということになるんですけど,でもなぜそれなのに尊厳ということでこの問題を語らなければならないのかというと,やっぱりそもそもこれは科学が踏み込んでいい領域なのかどうかとか,そういった社会一般の抵抗というものがあると。なおかつ,そのもとになっているヒト胚の提供をした人の心情的な抵抗があると。そういうようなやるべきじゃないというようなベクトルに対して,いや,だからといって,じゃあ規制しない,放置しておくというんでは功名心に走った人たちがどんどん手を出すようになる。だから,やっぱり規制しなきゃいけない。じゃあ,規制するとしたら全部シャットアウトするかといったら,いやそうもいかないと。やはりその必要性というところとのバランスをとりながらやらざるを得ないと。
 そういうようないろんな抵抗を理解した上でやるというときに,ある意味キーワードとして尊厳という言葉を包括的に使っているだけで,外づけ,外在的な要素で尊厳と言っているにすぎないんじゃないかという,そういうふうに思うんですよね。確かに,いろいろ理屈をこねれば,そのもとはと言えばとかという議論で,細胞に尊厳がとかという,それも間違ってはいないとは思いますけれども,そこが本筋ではなくて外部的な力に対してなぜこれをやるのかというときに,その尊厳というところを最後のとりでにして,我々はこれを守りますから認めてくださいという,そういう形で使われている言葉だと思うんですよ。
A : なるほど。ということは,これは結局研究者というか,推進をしようとする人たちが差し出すある種の担保みたいなもんですかね。つまり,人間の尊厳は侵さないということは,多分これは言葉の言い方は違うにしてもほとんどすべての人が強く持っている非常に基本的なコンセンサスですよね。だから,そこにつながりのある感覚を付与することによって,乱用しないという担保にしているということですか。
F: 簡単に言えばそういうことだと思います。先ほど尊厳じゃなくて尊重というような表現の方がいいんじゃないかという御指示もありましたけれども,細胞の尊重といっても,尊重という言葉の場合には,じゃ何を尊重するのかという次の段階の議論が待っているので,非常にややこしい話になって,だから結局細胞の尊厳云々ということに・・・。ちょっとすみません。今頭がまとまらないのでまた後で思い出したら発言します。
E: 例えばこの先生がつくられた基準にしても,ほかのいろんな指針にしても尊厳という言葉がいっぱい出てくるんですが,中身は丁重に扱えということを述べているんですね。言葉として尊厳の方がインパクトがあるからいいと思うんですけども,本来人間の尊厳という概念とは違うものを述べていると思いますね。
 すみません,もう少し。例えば,こういうものを用いて研究を行うこと自体が人間の尊厳を侵害すると私は実は考えています。論文にも,そんなことをいろいろ書いてきました。人体の資源化,商品化,所有権を設定することを含めて,そういう一連の動き全部が人間の尊厳を侵害していると。しかし,それを上回る利益があるから,功利主義的に考えて人類は研究を許容してきているというふうにいつも説明しています。せざるを得ないといいますかね。
 だから,人間の尊厳を侵害しないようなやり方で研究するからいいんだという立場と,いやそうじゃなくてそもそも侵害するんだと。私はそもそも侵害するというふうに考えています。
A : Hさん。
H: 質問ですけれども,E先生がおっしゃった,尊厳というのは主体に対して使う言葉だというスタートに従って考えるというのは,非常に私にも理解しやすかったんです。一方で尊厳と主体というのが裏腹といいますか,つまり主体に対して使う言葉だというところをもう少し説明していただくと,逆に尊厳という言葉の内容がもうちょっと分かるかなと思ったんですけど。
 つまり,さっきの説明だと人か物かということにちょっと落ちていってしまうような気がしたので,尊厳とは何かというところに帰るということです。
E: 例えば尊厳と似た言葉といいますか,この人間の尊厳というのは,生命科学の進展に伴ってよく言われるようになったのであって,昔からある言葉ですが,以前はそれほど言われてなかった。人権という言葉はよく使ってましたがね。人権を,例えば細胞に人権があるかという言い方をすると,それはないんじゃないかと言う人の方が多いですよね。同じように,人権と尊厳,パラレルにというか,かなり似てるというか,同じように考えていいんじゃないかと思うんですが,主体以外のものにそれらは本来使わない言葉だったという意味で。
 それの最も分かりやすい例として,DNAの尊厳ということを言う人もいますね。しかし,これはなぜDNAに尊厳があるのか。情報をいっぱい持っているから。それは私は違うと思うんですね。DNAが情報を持っているということは,それは情報として価値があるというのみで,だからそれ自体に尊厳を見出すということは何か変だろうというふうに思います。DNAが人間の尊厳に関係しているという言い方ははできると思いますけども。
 もとに戻りますけども,ES細胞をどちらに分類するかというのは難しいんで,あくまで細胞の一種であるとするならば,ほかの細胞との関係はどうなのかというね。細胞の尊厳という言い方をする人も当然あるわけですが,しかしその細胞はインターネットで売られカタログで売られ,研究に使われているという,所有権が設定されて商品になっているということがありますね。
A : 細胞に尊厳というか,尊重というか,そういう価値というんですかね,何かそういう属性が全然ないのかというと,例えば我々は昔から細胞を扱っているわけですけれども,少なくともアメリカ産でヒトの角化細胞,表皮の角化細胞が売りに出されて,ある値段を出して買うというときには抵抗があったんですよ。それまでヒトの組織をいただいたりがんの組織を培養したりしたけれども,そのときにはやはり人からいただいたこれは,ヒトの組織の一部なんだよって。だから,研究者の間で研究のためにやりとりをするのはいいけど,やっぱり売り買いしてはいけないようなものだという感覚です。だけどもヒト角化細胞は有限寿命だから二,三回継代したらもうなくなっちゃうわけですね。だから,その実験をずっと続けようと思ったら継続的に買うわけです。ということは,いつも新しく人から商業目的のために組織がとられているということなんですね。だから,それは随分抵抗がありました。だけど今はだんだんもう慣れてしまって,半分当たり前のようになっているんですね。普通の体細胞の場合は。
 たがら,僕は,ある意味では人の体に由来するものに対する素朴な敬意というものはあるんじゃないかと思います。例えば,手術で切り落とした腕だって,焼却処分にするからといって,やっぱり燃えるごみと一緒に出さないわけですよね。
E: 4カ月未満の胎児とか,産業廃棄物として出されている。文科系人間だとそれ自体が人間の尊厳にかかわるんじゃないかと思うんですが,現実にそういう取り扱いになっているということがあります。さっきの商業化の過程,細胞が商品になっていく過程ですが,最初は樹立して自分で使っていた,しかし自分で細胞を樹立するのは大変だとか,汚染を防ぐのも大変だとかで,だんだんと業者があらわれてきて,今のように商品になってインターネット経由でどんどん入ってくる時代になったということです。これは我々の身の回りのものが商品化しているのと同じですよ。みんな昔は自分の家で鶏を飼って大根をつくってとやったんですが,外でやり始めたとね。あらゆるものが市場経済下では商品化するという大原則のもとにあるんですね。
C: 今我々が話をしているのは胚からES細胞を樹立するとか,そういうところの話をしているんですけど,尊厳という言葉は権利主体に使われるべきもんだということになりますと,民法上の権利主体,刑法上の保護の対象という人間,人ですね,それの尊厳ということを考える場合に,先ほど冒頭でこの前のヒト胚に関するシンポジウムに行ってこられたA先生とかD先生の話がありましたけど,実際の病気を持っておられる患者さんとかその家族の方々はむしろその研究を進めてほしいという考えを持っておられるということですね。とした場合に,患者さんとかそういう病気を持っておられる人たちの尊厳ということも人の尊厳のうちに入ってくるのではないかと思うのですけれども,そういうのは,ここではどう取り扱ったらいいんでしょうかね。
A : よろしいですか,実はそのことはかなり先ほど話しましたヒト胚の取り扱いに関する報告,中間報告を出した委員会でも議論されたようでして,結局整理の仕方はこういうことなんです。つまり,先ほど言いましたように,人はもちろん尊厳を持っていて,人の胚も,細かい理由とか意味づけはいろいろにしても何らかの価値を持っていると,特別な価値を持っている。それを滅失することは原則としては許されないし,研究目的に使うことも原則としては許されないと,こういう立場なんですね。
 それで,それなのに,じゃあなぜやるかというのは,実は人が健康に生きたいという欲求を実現するということも,これは人の尊厳を尊重することであるということなんですね。だから,それに向かって一生懸命努力をしましょうという,人間社会全体が。その担い手が特に医療だと言えばそうなんですけど,人間社会全体がそういう方向に向かって努力をしている,その活動の一環であると。そのせめぎ合いの中でどこが落としどころかという,そういう議論みたいですね。
B: F先生にお聞きしたいんですけれど,この最初の1の最初の行のところには人とヒト胚とヒトのES細胞と3段階の説明が盛り込まれていますね。そのヒト胚のところで,現在のところという前置きで,民法上の権利,権利主体や刑法上の保護の対象としての位置づけはされていないというふうになっているんですが,保護の対象としての位置づけを考えてみようという機運というか,動きはあるんでしょうか。
F: 私の知る範囲では,お尋ねの民法・刑法に関する限りはその改正をしてヒト胚を保護するとかというような,そういうような考え方というのはそんなに盛り上がっているといった状態じゃないと思います。というのは,やはり大原則は人の権利は出生に始まり死亡に終わるからです。その例外として,民法上の権利は,例えば財産相続等については胎児でも遡求して適用するよとか,あるいは刑法規範においては先ほどE先生が言われたように,堕胎罪等で特別の保護をするよといったところが基本的な考え方ですから,それこそ花になる前の種のところまでさかのぼってこれを保護すべき主体というふうにとらえるというところまで飛躍するのところまではいってないと思います。権利主体としてということで言えばですね。
E: 主体として保護するというよりも客体として保護するといいますか,そのあたりはあいまいなんですが,外国,ヨーロッパで行われている胚保護法,そういうものを日本でもつくった方がいいという議論はありますね。しかし,日本では法律はなかなかできないので,指針でやっているのが現状だと思います。
F: 今,E先生御指摘のとおりなんですけど,私は最初の一文の権利主体としてのというところでお尋ねがあったので,そういうふうにお答えしました。ただ私前々からこのES細胞の使用に関する倫理委員会ということで,出てくる前から樹立の委員会じゃないんだなと,そうすると法的な問題とかそういうような議論というのはそこまでないなと。どちらかというと,要するに本当にモラルの問題だと。だから,厳密に法的な権利義務関係として突き詰めてどうだというような議論は実はここでは余り必要ではなくて,むしろ本当に使用しようとする,使用する人間にモラルがちゃんとあるかどうかということを我々が確認するというレベルしかできないだろうし,権利義務関係を突き詰めていっても何も出てこないというふうに思うんですね。樹立のところだったら大いに活躍する場があるんだろうけど,使用のところはこれはどうやって私がかかわればいいのかなというのが,最初に委員会出席を承諾したときの悩みだったわけですね。
 先ほどいろいろ法律論云々とかという話も出ていますが,法律論かなというのが,先ほど委員長が例に出された,例えば治療のために切り落とした腕をどのように処理するかとか,あるいは細胞を買うことについてどういう気持ちを持つかというのは,これはすべてモラル,倫理の問題ですよね,医療専門職の。これは法律で規制していない以上,法律上の権利義務関係で論ずることはできないです。ただ,将来的にどうするべきかという,そういう構想はできるにしても,現段階においてはモラルの問題だと。だから,ここでやれ尊厳だ何だと言っても,抽象的にモラル的な概念としての尊厳というところでいいんではないかというふうに私は思っています。
A : いや,全くそのとおりなんですね。僕が法律的な意味でどうでしょうかねなんていうふうにたまに聞いているのは,法律を学んだ人,法律を専門とする人のフィーリングでは,例えばモラルとしてはこんなところに落ちつかなくちゃいけないんじゃないのということがあって,それがひょっとすると,日常細胞を使っている人のモラルとしてはこんなところなんじゃないのということと違うのかもしれないという思いからなんです。
 この委員会は明らかに倫理委員会でありまして,法的に違法かどうかを審査するところではないんです。ある意味で言えば,全部違法じゃないわけですよ,ここでこれから審査しようとすることは。そうじゃなくて,あくまで倫理の問題なんですけども,結局それを考えるときにモラルのコンセンサスと言うとおかしいですけど,どこかこのぐらいならいいかなと,社会のいろんな立場の人から見てもこのぐらいならいいかなというものをつくるためには,やっぱりいろんな背景の先生,人に入っていただいてという,そういうことだと思っているんです。
 それから,先ほど先生がおっしゃったように,これは樹立機関,樹立計画じゃなくて,使用計画であって,そういう意味では負担が軽いんですね。このES細胞の一番の問題は胚を滅失すると。その滅失する胚をどこから手に入れるかというところが非常に大きな問題で,使用計画の方はそれと比べると,相対的に言えば少ない問題だと,僕自身も認識しているんです。ただ,使用するときに,ほかの培養細胞,動物の細胞を使っての実験について何か倫理的な意味を検討することはやはり違っていて,どうしても要求されていることがあって,要求されていることは樹立のプロセスを何らかの形で意識をして物をやりなさいということなんですね。ということは,やっぱり樹立のプロセスに思いをはせなくては,どういう基準で使っていいのかが出てこない。樹立のプロセスに思いをはせるためには,ヒトの胚がどういうものであるかということがないと物が出てこないだろうということで,今こういう議論をしているわけです。
 だから,今のことは一番基本の心の中に我々が持たなくちゃいけないことなんですけども,実際に審査ということになりますと,これは後の方なわけですね。あくまで今の話では総論であって,心の奥にどういう思いを持つかということの段階だというふうに理解しているんですけどね。
H: 1ついいですか。
A : どうぞ。
H: 伺っていてちょっと思ったのが,どうしても人の尊厳ということを中心に考えることによって,さっきから出ていたような例えば主体,人になっていくとかそういう部分のまさに樹立に思いをはせるとかというふうな話が中心的になっていたと思ったんですけども,逆に私はA先生がおっしゃったお話を聞いてなるほどなと思ったのは,さっきの主体か客体か,人か物かということで言えば,例えば死体というのは確かに物なのかもしれませんけれども,こちらの医学部なんかでも献体に対しての感謝をささげる会をされたりしていますね,ともしび会というんですか。それで,確かに,例えば解剖をするときには必ず感謝の気持ちを持ってするとかというふうなことを医学部で実習をした友達に聞いたことがありますし,先生がさっきおっしゃったように細胞を買うということにも心理的な抵抗があったとか,それはやはり倫理的な問題ということですよね。
 ですから,ES細胞についても,基本的にもちろん胚を滅失するというところでの主体,尊厳とかかわる部分で尊重しなくてはいけないという問題も当然あるわけですけども,それ以外にやはり人に由来する細胞であるということで,それは死体であったり,さっきA先生がおっしゃったような細胞であったり,腕であったりするようなものにも,やはり多分それは何がしか人の尊厳と関連のある,人由来であるということで,何か人間には心理的な抵抗なり,それはやはり倫理的なそういう大事にしなくちゃいけないという気持ちがあるということだと思うので,客体に対してもそういう気持ちは少なくとも発生するということと,だから両方がやはりES細胞についてはあるのではないかと思いました。
 だから,人の尊厳があるという部分と,それから提供者の善意や心情が込められているということだけではなくて,やっぱり細胞にも何らかの尊重を払うような何かがあるんじゃないかなという気持ちがちょっと今伺っていてしました。
 例えば,B先生がおっしゃった連続性ということも,すごく興味を引かれたんですけれども,そういう意味で言うと,その発生ということだけではなくて,多分はがれ落ちていくようなものであったりしても,そこもやはり同じではないけど何かつながっているわけですよね。そういうことはあるのかなというふうには思いました。
A : 分かりました。つまり,ヒトES細胞のある種の尊さの由来,由縁というか由来として,人の胚を滅失することと,それから提供者の思いということを2つ挙げたわけですけど,それ以外に人の体の一部であるということのそれ自体にもある種の尊さがあるんだということですね。それも全部含めてベースとしてね。
H: じゃないかと思ったんですけど。
A : 分かります。
 今日は3時まで予定しておりまして,3時までにもうあまり時間がありません。3時からは用事のある先生もいらっしゃいますので,終わらなくてはいけないんです。非常に頭が痛いんですけど,ちゃんとやろうと思うと時間がどんどんたって,今日のこのぐらいで話が終わってしまったら,今のペースでやっていると3年たってもまだ実質審議に入れないことになりますので。ただし委員会自身を6時間も7時間もやってもどうかと思われますので今日は終えますけれど,例えばインターネット等を活用して何かもう少し詰めた格好にできればなというようにも思うんですけど,その間できるだけ御協力いただければと思います。
 私の希望としましては,この審査項目,これが一番肝心で,総論もそうですけども,特に各論のところが非常に大事なので,できれば次回で一応この項目と基準ぐらいをつくって,実質審議が始められたら一番いいかなと思っているんです。遅くともあと二回でこれを終えて実質審議に入らないと,ちょっと余りに長いかなという印象を持っておりますので,できるだけ日ごろ日常的に御意見を伺えればというふうに思います。
 それで,今日基本的な部分で幾つかいろんなお考えいただいて,この1番の最初のところにES細胞とはどういうものかを入れるということと,それからES細胞の尊厳に関しても今日幾つか議論の中から少し抽出をして,ここの文章を書きかえて,また皆さんにごらんいただきたいと思います。
 少しメールのやりとりで議論をしていただきたいのは,そういうことに基づいてヒト細胞の取り扱い姿勢,ここもいろいろな考えがありましょうし,専門委員会の中でも意見が分かれているところがあるんです。先ほどありましたように,礼意を持って取り扱う研究施設,設備というのはどういうものかということにも関係があります。,インキュベーターを全く別のものにしなくではいけないとか,本当に必要なのかどうかというのは疑問に感ずるところがあるんですけれども,そういうこともあります。基本姿勢としてはここのところまで考えていただければ,あとはそれほど大きなことはございませんので,次回は少し個別の判断に入っていければというふうに思っておりますので,よろしくお願いいたします。
 それから最後に,次回の予定を決めなくてはいけないんですけども,実はお二人の先生が御欠席で,しかもI先生には新しく入っていただいております。この前の議論にもあったように,外部の委員で非常に重要なポジションを占めておられるので,是非次回はI先生に出席いただけるような時間帯に設定したいと思います。それで,この場で決めるというより後で持ち回りで決めた方がいいんじゃないかと思いますが。よろしいですか,それで。
 大体1カ月後くらいを想定しているということで。皆さんいろいろお忙しいと思いますけれども,是非御協力をよろしくお願いします。
 最後に,何かこれだけは言っておきたいということがございますでしょうか。よろしいでしょうか。
 それじゃ,どうもありがとうございました。