岡山大学大学院医歯学総合研究科ヒトES細胞倫理審査委員会 第4回委員会議事録
日時:平成16年3月26日 午後1時30分〜3時40分
場所:歯学部第一会議室(歯学部棟2階)
出席者:A,C,D,E,F,G,H,I
欠席者:B
 
資料:岡山大学大学院医歯学総合研究科ヒトES細胞倫理審査委員会第3回議事録(案)
   第3回議論の要点と合意事項のまとめ(案)
   ヒトES細胞使用計画審査項目および基準(素案その2)
 
A : それでは,定刻ですので第4回ヒトES細胞倫理委員会を開催いたします。本日はF先生が1時間くらい遅れるということです。B先生は県の審議会があるのでご欠席です。今日は1時半からはじめて2時間程度の予定です。今日から新しくI先生にご参加頂いていますので簡単に自己紹介をお願いします。その後,委員の紹介をいたします。それに続いてこれまでの3回の議事録をお送りしてございますので,それについてI先生がざっとごらんになってどういう感想を持たれたかということをお伺いして,それから具体的な議論に入っていきたいと思っております。
 まず,I先生,自己紹介をお願いいたします。
I : ノートルダム清心女子大学のIと申します。
 所属は人間生活学部の児童学科で児童文学を教えております。他に大学の附属図書館長と学長補佐をさせていただいております。
 専門は児童文学で,特に児童文学の古典の翻訳をかなりやっておりますが,私はかなりフィールドが広いと言えば広くて,こういう議事録を読ませていただいて何かある意味で懐かしい気がしたんですけれども,大学時代は実は東京大学の教養学部教養学科で科学史・科学哲学におりました。それから芸術哲学に興味を持って比較文学,比較文化の大学院に進み,それからどんどんどんどん文学の方へ行ってしまって児童文学をやっているというわけです。科学哲学というのを少しはかじったことがございまして,そういう意味では全く無縁のお話でもないんだなと,議事録を読ませていただきながらちょっと思い返していたところです。児童学科へ来まして,文学だけというわけにもいかず,どんどん子供の教育の問題,子供の問題というのを日々取り扱わなくてはいけなくなりまして,今子供の発達の問題と児童文学とを絡めて考えることを仕事の中心にいたしております。
 一応自己紹介としてはこのようなことでよろしいでしょうか。
A : どうもありがとうございました。
 それでは,ほかの委員ですけども,私は委員長を仰せつかっておりますAといいます。
 専門は細胞生物学で,医学部の方から出ております。
 じゃ,先生,こちらから回りましょうか。
C: 副委員長を仰せつかっていますCと申します。
 医歯学総合研究科に所属していますが,歯学系の方で口腔生化・分子歯科学分野を担当しております。
D: Dと申します。
 研究科は一緒ですけども,歯学部の臨床の方で歯周病を主にやっております。そこの方では,組織の再生とか,あと幹細胞,ステムセルを使った組織再生とかというようなこともいろいろ進んでいる分野ですので,委員の中で唯一臨床系から出ているということになります。
G: 新見短期公立大学の学長をしておりますGでございます。よろしくお願いいたします。
H: Hと申します。
 一般の立場の者ということで参加させていただいております。よろしくお願いいたします。
E: Eと申します。
 ここの医歯学総合研究科生命倫理学分野で医事法と生命倫理を研究しております。よろしくお願いします。
A : どうもありがとうございました。
 それでは,このメンバーでやっていきたいと思います。
 今,I先生に最初に御感想をおっしゃっていただくというふうに言いましたけれども,先に議事録の確認とそれから前回の合意事項ということを,これはやや事務的なお話ですので,それを済ませて実際の議事の内容に入るその前にI先生の御感想を伺えたら,その方が話がつながりやすいんじゃないかと思いますので,そういうやり方でお願いしたいと思います。
 まず第1に,第3回の議事録であります。これは,もう皆さんにお配りして,皆さんからいただいた修正点を刷り込んだものを用意していただいて,これもお配りしてあるわけですけれども,ざっとごらんください。3回目になりまして,やっと議事録を作成するというところがスムーズにいくようになりまして,これはこの前のお話のように,テープを起こしたものを意味が通ずるようにミニマムのてにをはを直したものを皆さんにお送りしてありました。それについての修正部分が今回上がってきたものです。
 ごらんいただければ分かりますが,大部分が言葉のちょっとした入れかえとか削除とかその程度のことでして,議論の本質には,ほとんどかかわるような削除とかほかというのはございません。
 何か問題がありますか。
 もし,御意見,特に修正の御意見がないようでしたら,これも記録として3回目の委員会のものとして残したいと思います。どうもありがとうございました。
 それでは,いよいよ今日のメーンのテーマであります審査項目とその基準案についての内容についての検討を続けたいと思います。
 この委員会が発足して今日で4回目の委員会で,大体今,月に1回のペースで委員会を開いております。一方,既に本委員会の発足時から使用計画の申請が出ております。さまざまなことを考えると,どういう結論になるにせよ,何年もかかって議論をするというわけにはいかないので,私としては,できれば審査項目,その基準というようなところは今日でできるだけ大枠を決めて,次回からは具体的な使用計画を見ながらの審議に入れればというふうに思っております。
 そういうことを心に置いて審議をしていただければありがたいんですけれども,その前に先ほど申し上げましたように,I先生に議事録を読んでの御感想をおっしゃっていただければありがたいと思います。よろしくお願いします。
I : 最初,このお話をいただいたときに,余りにも素人で分からないのではないかということで,お役に立たないのではないかと懸念したんですけれども,議事録やいろんな資料,完全には読めませんけれどもざっと拝見させていただいて,そういう懸念よりもむしろ今度は私の今までやってきたこと,考えてきたことからすると,皆さんがここでなさっている議論の大分手前のところで基本的に反対という立場に立たざるを得ないなというので,それで具体的なその使用計画の細かいところについての議論というようなことには余りお役に立たないのではないかと,今度はそういう心配をいたしております。
 見せていただくと,ES細胞の樹立という言葉にちょっとぴんとこないものがあるんですけれども,それはもうほかで済んでいるということで,それを使って研究することについての妥当かどうかということを検討する委員会だというふうに読ませていただきましたけれども,私はES細胞の樹立ということそのものに対して余り賛成ではございません。というか,その技術的な前提になっている生殖補助医療というんでしょうか,それについてもかなり強い疑問を持っております。
 私はどちらかというと文学とか哲学,宗教学などの立場に立っているんだと思うんですけれども,文学の原点というのは人間が死をいかに受け入れるか,それから死ぬことと生まれることというのは人間にとって一番分からない部分なわけですけれども,そういう分からないものをどうやって受け入れて納得するかということだと思いますし,それが宗教の原点でもあった。文科系というのは,倫理学もそうですが,そういうことをやっている分野だというふうに私は理解しております。私は,そういうふうに考えてきていますので,ES細胞というものに人間の尊厳があるかどうかという,その点よりももっと気になるのは,例えば子供が生まれないという人あるいは難しい病気にかかったという人にとって,今まで人間がやってきたことはそういうことをいかに受け入れていくかということを人間は文学や宗教や哲学やそういうものを通じて築き上げてきた,そういうものを受け入れるのが人間の尊厳だというふうに私はむしろ思っているんですけれども,そこにいわば当てにならない希望で誘惑するということが私は一番納得できないことです。
 絶対確実な希望ではない,結局はうまくいかない可能性も高い。でも,本当はその死を受け入れる,その自分がつき合っていかなきゃいけない病気を受け入れるために人間は最大の努力をしなきゃいけないときに,それを夢のような可能性で誘惑するということが私は倫理的に納得できないという気がいたしております。
 非常に否定的なことを申し上げて大変失礼なんですけれども,一応最初に立場を明らかにさせていただきたいと思いますので,失礼ながら言わせていただきました。
A : どうもありがとうございました。
 世の中にはもちろんいろんな考え方があって,いろんなシンポジウムをしても,極端に言えばどんどん推進すればいいという意見から,そうじゃない逆の人もいるわけでして,それが全体として現在の日本の社会でもあるし,それをもっと広く言えば人類の社会でもあると。倫理の問題というのは,結局全体としての人間集団というか人間の社会の中でどのように整合性をつけていくかということでありますから,いろんな意見が出て,そこで問題点が明確になるということは望ましいことだと私は思っております。
 そういう意味からしますと,最初に我々も,議事録を読んでいただいてお分かりだと思いますけれども,委員にある種の偏りがひょっとしたらあって,世の中の意見が全体として整合性のある形で委員会の中に上がってきていないおそれがあるのではないかということで,懐を広げるというか,委員を増やしたということでありますから,そのような意見を述べてくださるということは非常に大きな貢献をして頂いていると思っております。
 そういうことを前提にして,今の点についてどうでしょうか。もうちょっとほかの委員の方で御意見ございましたら。
 どうぞ。
E: 今,I先生がおっしゃった点を議論し始めると,また長くなるんですよね。例えば,1つだけ申し上げますと,「当てにならない希望」と断言できないところが,また難しい問題でして,過去医学はいろんな治らない病気を治してきていますし,臓器移植だって「当てにならない希望」で誘惑していた段階が最初はあったと思いますね。しかし,それが今ではかなりの程度に定着した医療になってきていますよね。だから,先生がおっしゃるような側面だけではないわけですよね。だから,事実の評価のところから既に難しい問題が実はあると思いますね。
A : 倫理委員会というのはいろんな面からの任務を担っています。ただ時間をかければいいというものでもないですが,必要なときにはちゃんと議論をしなければいけない。現実にやっていく中でいろいろ相談をしながら進めていこうと思います。
 今,I先生の意見を伺って,確かに先生のおっしゃるとおり,人は生老病死でいろんな苦しみに出会う,それをどのように受け入れていくのかということを宗教とか哲学とかあるいは文学で取り組んできたということはまさにそのとおりだと思いますけれども,同時に医学医療もそれを担ったわけですね,実際には。もちろん,これは限りのあることであって,幾ら医学医療が進歩しても寿命はある。しかし一方で,世の中の多くの人が,私はこれを質問として言っているんですけども,多くの人が現実に目の前の苦しみを解決してもらいたいと望んでいて,医学医療がある程度歴史の中でそれにこたえてきたことも事実であって,社会の中では人々がそういう医学医療のありように支持を与えてきたことも事実じゃないかと。
 だから,そういう作業全体がナンセンスと言うわけにはいかないでしょうと思うんですけど,その点はいかがですか。
I : もちろんそうなんですが,それがそこでES細胞というような人間になり得るものですか,そういうものを使うところまで踏み込んでそれをやるべきかということです。薬を開発するとかいろんな手術の仕方を研究するとか,そういうことは本当に人間が努力してきたすばらしいことだと思いますし,そういうことに対して否定的に考えているわけではもちろんないんですけれども,やっぱり踏み込んではいけないところというのがあるというふうに思うということです。
A : 分かりました。確かにそのとおりですが,そこで確認しておきたいことは,少なくとも医学医療のある種の活動は人の社会に容認もされ支持もされてきたし,存在意義があると先生もお考えになるということですよね。
 そうすると,問題はなぜES細胞が非常に議論の対象になっているのかというです。ここで議論になっているように,ES細胞は胚という,扱いによっては個体というものを形成するというような能力あるものを滅失して初めてできるようなものなわけです。先生は,胚の操作そのものはやはり人の尊厳に関わるのではないかとお考えですけども,医療の対象の中には,例えば胚ではなくて肝臓とか皮膚の組織とか,そういう組織を取り出してある種の操作をして戻すということがあります。結局私の言いたいことはいろんな作業が連続的だということです。それで,どこで線を引いて,ここだと踏み込み過ぎですよと,これはやめましょうよと,でもここまではいいんじゃないのという,そういう線引きの基準をどうやってつくるかという問題だと理解しています。そのことについての御意見を頂ければ。先生いかがでしょうか。
G: I先生がおっしゃられること,今,A先生がおっしゃられたことに関してなんですけども,ついこの前21日の日曜日ですが,ある文科系のお名前出したらすぐ分かるぐらい有名な方ですけれども,講演がございまして,私は聞きに参りました。そのとき,やはりその先生は,ちょうどI先生がおっしゃられたように,今の医療というのは恐ろしいものがある。すぐクローンとかクローン人間とか,そういうものをつくるので余り賛成じゃないと,そういうふうにおっしゃられて,もう少し人生は道草を食った,もう少し自然なものが欲しいというふうな発言をなさいました。
 私は,その先生に,後で,話しました。まじめな科学者は今ヒトのクローンとかというのをまじめに考え,できると思っている人は恐らく誰もいないと思いますよと。一番最初,ドーリーができましたけども。だから,今そんなに簡単に人間のクローンができるとは科学者は思っていませんで,それは少し飛躍ではないですかと。むしろ,細胞治療とか再生医学に夢がありまして,それに向かって研究を進めていこうとしている段階でございます。すぐクローン人間というところまでは飛躍し過ぎですよと,私はその先生に申し上げました。
 以上です。
A : ありがとうございました。
 ほかに御意見ございますか。
 今のことも含めてですけども,I先生にちょっとお伺いしたいんです。ヒトの胚の取り扱いについてはここでも少し議論があったんですけども,振り返ってみると生殖補助医療というものは殆ど議論しなかったんです。恐らく僕の認識が間違ってなければ,これは世の中で普通に行われていることなので,認める立場から出発しているようなところがあります。
 先生は,今ちょっとそこも抵抗感があるというふうにおっしゃいました。実際には,世の中では不妊ということに不幸を感じてそういう方向で一生懸命努力をしようとされている患者さんもたくさんいらっしゃるわけですよね。そのことも含めて,先生は生殖補助医療のどういうところが何故問題だとお考えにのか,それについて少しお考えを教えていただければありがたいんですけど。
I : 私は生殖補助医療の実態については新聞で拝見したりすることでしか知らないわけですけれども,それは非常に簡単に成功率の高いものになっているんでしょうか。
G: いや,低いです。一番最初に羊で成功したとドーリーがございましたけれども。
A : いやいや,それは先生,クローンの話じゃないんです。今の話は,今,日常行われている体外で受精して,いろんなやり方があるでしょうけども,受精して,そしてちょっとおいて子宮内に戻すという,つまり不妊治療のことです。
G: 不妊治療,ああ,わかりました。先ほどのI先生のご発言がよく聞き取れなくて,失礼しました。
A : ええ,そうです。
G: それがどれぐらいあるのかという。
A : ええ。それは僕も正確な知識じゃありませんけれども,成功率が多分20%とか何かその辺で頭打ちになっているというふうに聞いていますけど,二,三十%かそのぐらいだと思います,じゃないですか。
C: たしかそうでしたね。
A : その程度ですよね。
I : その辺についてはいろいろ議論がありますから,その話に踏み込むとそれこそ大変になり過ぎると思うんですが,やはり女性の立場から申し上げますと,そういう可能性があるために,周りからのプレッシャーがあるということもありますね。そういうやり方は選びたくないという場合でも,例えば親族からの圧力,周りからの圧力で可能性があるんだからやってみなさいというふうに言われて苦しむ人もいるわけですね。ですから,私は,シンポジウムの資料でも何人かの方がもう完全に受け入れられていると書いてありますけれども,そんなに完全に受け入れられているとは思いません。やはり,そう簡単なものではないという気がしております。
A : 僕が余りしゃべっては問題なので,ほかの委員の先生方いろいろ意見を言っていただきたいんですが,ちょっとその先生の御意見について思いましたので発言させていただきます。確かに僕の言葉は少し辛過ぎたかもしれませんが,受け入れる,受け入れたということは皆さんがそういうやり方が非常にいいことだということで100人の人が100人オーケーと言っているのではなくて,少なくともかなりの人がいいと思っていて,それは恩恵であると思っている。しかしまた,相当数の人が,いやいやそういうことは余り,例えば当事者でも私はそういうことをしたくないんだという方もいらっしゃる。
 だけど,そのしたくないんだという意見の人でも,少なくとも世の中でそういうことが行われるということが非常によくないと,是非やめてほしいというところまでの意見の人は非常に少ないのではないかという意味,社会が容認しているということはそういう意味です。先生がおっしゃったように,確かにそういう治療法があることによって周りから余計な圧力がかかるという部分がございますけれども,一方ではそういう治療法がなければもっと精神的な苦痛を持っていた人のかなりの部分が,生殖補助医療でお子さんを持つことができて非常に喜んでいるということもあります。
 だから,そういうことを全体として見て,社会がその治療法の存在を容認するかどうかという,そういう議論じゃないかと思うんですけど。
I : 私も別に積極的に反対の声を上げるつもりは全くないんですが,余りそういう医学の進み方というものにいい感じを持っておりませんということです。
 それともう一つ申し上げるならば,医療は進めば進むほどいいということであっていいのかということも思っております。というのは,それで医療全体がどんどんどんどんいい状態になっていくのであればいいんですが,一方で先端医療に力が入る一方で,普通の人たちの日常生活に必要な医療というのは必ずしもいい状態にない。医師不足が起こったり,それから人手不足のための医療ミスのようなことも起こるわけですね。日本はまだ恵まれていて,もっと医療のレベルの低い国はたくさんある。
 だから,そういう日常の医療を手厚くするということを犠牲にしなければいいんですけれども,やはり経済的にも,それから人間のエネルギーという意味でも,かなりそういう日常の医療を犠牲にしているという側面はやはり気にしなきゃいけないことではないかという気はしております。
A : 僕が思うのはそれは確かにそういう問題もございまして,それを考慮しなくてはいけないんですけど,それはどちらかというと医療行政というか医療政策の問題なんですね。僕が理解している倫理審査,我々がここでやっている倫理審査委員会というものはそこまで踏み込んでトータルの医療,医療政策を考えてこういう研究は今やるべきじゃないということを決定するのではなくて,やはり倫理的なもの,つまりこの世の中が存在していて,人間にいろんな構成員がいて,そういう人間の社会というものがある研究を容認できるかどうかということをチェックすべきことであって,それがどの程度進むか,あるいはそれが経済的にサポートされるかどうかということは,また別なところで決定してもらえばいいのではないかというふうに思っているんです。
 そのほか,どうぞ。
E: その決定の仕方ですね,もともと,そもそも科学技術とか医療テクノロジーは倫理問題の製造機械なんですね。次々に産み出してくる。しかし,それに対処せざるを得ないですね。もう一つ,今,A先生がおっしゃったことですが,その倫理評価にもグラデーションがありまして,「これは倫理的に崇高な行為である,誰もが認めて誰も文句を言わない立派な行為である」というものから,「絶対に倫理的に許されない」というものまでグラデーションがありますね。今回のこの委員会で審議するようなものというのは,そのどちらでもないですね。その中間のぎりぎりのところで何とか許容できる,あるいは「ほんの少しだけどもおかしい」という,その微妙なあたりの線引きをする作業になると思うんですね。
 いわゆる生命倫理の問題というのはそのあたり,先端医療テクノロジーを扱っている領域ではそういう問題にどうしてもなってくる。微妙なので,その立場や物の考え方が違うとどうしても結果が,結論が違ってきますね。
 そこで,どうやって進めていくかというと,生命倫理でいうのは,「他人に害を与えない限りやってもいいだろう」という『他者危害原則』とかそういうものがありますね。こういうものをある程度よりどころにせざるを得ないと。別な言い方をすれば,何らかのメリットとデメリットを比較して,メリットの方が大きいから進む,やってみるというやり方。先ほどおっしゃった生殖補助医療でも,何度も失敗して何千万円かかって破産したとかという人があらわれたり,周りのプレッシャーに耐えかねて自殺したとか,そういう人もいろいろありますよね。しかし,喜ぶ人もいると。やりたくない人はやらなければいいという,そういうシステムで進んでいっていますし,そうせざるを得ないと思うんですね。
 功利主義,生命功利主義といいますか,そういう考え方で進んでいっているのが現状で,それ自体も批判の対象に当然なるわけですが,そこは文献上の学問,生命倫理学の領域で,ここでやると進まなくなると思いますけどもね。
A : 何か御意見ございますか。先生はどうでしょう。
C: I先生のお話を聞いて思ったんですけども,生殖補助医療というものに関してもちょっと疑問を持っておられるということですが,一方で薬を飲むというような今までの医学に関しては肯定されているというように私には受け取れました。E先生が先ほど言われましたけども,医学というのは今までもその時代時代に問題を抱えて来ました。あくまで希望にすぎないと思われたものが実現することもあるわけです。そういう形で進歩してきていると思うんですが,それ自体を全く受け入れないという人たちの社会集団も中にはありますよね。輸血は拒否するとか,医療は受けない,自然に任せておけばいいんだという考えの人たちもいます。
 そういう人たちと我々の社会と,グラデーションがあって,グレードがあって,全員ではなくても,社会全体がある程度容認できるという辺のところの線引,これもまた時代によって変わってくると思いますけれども,現時点のあらゆる知識を結集してその線引きをするのが我々の仕事じゃないかなと思うんですけどね。
H: 本当にI先生に参加していただいてよかったと,非常に本質的な大事な問題だなと思います。ちょっとうまく整理できていないんですが,社会の中にいろんな考えがあるのと同じように,私個人の中にもいろんな考えがあります。抽象的な,大きな考え方で見たときには,私自身別に輸血を拒否したりはしませんけれども,実際例えば自分に子供ができないということになったときに,生殖補助医療を受けるかといえば受けないかもしれないと思うんです。なぜかというと痛いとか苦しそうだということだけではなく,自然なり神の手に任せるべきことに人が介在していいのかという気持ちがあるから,やらない方がいいという思いがあるんです。そもそも医療を否定するのかと言われれば否定はしないんですが,ただ医療なり科学技術の出発点からそもそも自然に反する部分があるんじゃないかという気持ちは,私の中にあります。
 一方,医療を全部否定するかといえばしないし,それがすばらしい進歩であるということも同時にあるんですね。それが矛盾しているのかしていないのかと言われると非常に難しいんですけれども。そういう中で今回もこの委員会に参加しています。ES細胞を使用して研究が進んでいくことに対しての抵抗感は一方であるんだけれども,でも現実にこういうことがあって,それに意義があるんだとすれば,それを全否定するべきかどうか,まさに細かい線引きというのはそれはそれで必要じゃないかと思って,この場にいるわけです。社会の中にも個人の中にもその両方を持ちながらという人が多いのではないかと思います。
 先ほど,社会が容認しているかどうかという話がありましたが,容認というのは多分非常に定義が難しくて,例えば積極的に反対をしないからといって賛成ではないし,容認かどうかも分からないというか,極端な言い方をすれば,そのことについて深く考えたことがない人が多いというのが正確かもしれないと思います,社会全体として見たときには。反対する理由がないから特に反対を言わないという人が多いというのが,実は事実かもしれないという気がします。例えば,自分の身近なところなり,自分自身が難病を抱えたときに初めて考えるのかもしれませんし,そのときにもそれを治したいとか,そういう可能性があるということにやはり集中して考えてしまうと思うので,それが社会全体とか人間の生死とか,そういう哲学的な問題の中でどう位置づけられるかということまで考えて,最終的に自分がその治療を受けるかどうかという結論に達するところまで深く考えることが,一人一人の人にできるかというと,やはりそれは非常に難しいと思うんですね。もちろん,それなりに考えるわけですが。
 ですから,何かだんだんまとまりがつかなくなりましたけれども,いずれにしましても社会の中でも個人の中でも一種矛盾した気持ちを持ちながら,だけど現実にあるのだからどうしていくかということをそれなりに真摯に考えるしかないのかなというふうに思って,この場に私は来ております。
 以上です。
A : ほかにどなたか御意見はございますか。
 私は,今のお話を伺って共感することがいろいろあります。私自身もある種矛盾の中にいるんですね。しかも,それは時間とともにいろいろ変化をして,体験によっても変化をするわけです。例えば,生殖補助医療について非常に個人的なことを申し上げますと,私は以前はやっぱりそれには反対でした。それは世の中は一切やっちゃいけないという意味での反対ではなかったですけども,少なくともできればやらない方がいいのになと。やっぱり,先ほどI先生がおっしゃったある種神様にお任せするというところがなくてはいけないというふうに私自身も思っているんですね,実は。
 生殖補助医療に関してはそういうふうにずっと思っていたんですけれども,あるときかなり身近な人が2組そういうことに現実に直面しまして,非常に悩んで,その結果子供が生まれて,その子供が生まれたことによってどういうふうに生きているかということを観察していますと,ああ,やっぱりこれは自分が関係のない場面にいて,そして第三者的に反対ということを軽々しく言ってはいけないなということを思いました。
 病気についても,私も,これも個人的な話ですけども,人はどうせ死ぬんだから,20年長く生きても20年早く死んでも余り大して差がないのではないかというふうに僕自身は正直言って思っております。思っておりますけれども,もし身近な,例えば自分の家族がある病気になったときに,治療法があるかないか,もし治療法があったとすればそれはかなりラジカルなものであっても是非受けさせたいと私は思っておりまして,そういう意味では非常に難しいですね。
 どうでしょうか。何か。
 I先生,最初,先生はかなり厳しい御意見をおっしゃって,僕もちょっと胆を冷やしたんですが,いろいろ話してみると,結局はやはり先生も要するにある種のグラデーションというか,そういう中でやっていかざるを得ないと思っておられるわけですよね。
I : もちろん,それはそうなんですけれども,途中から入りましたし,最初に一応立場を明らかにしておきたいと思いまして,基本的なところを言わせていただきました。もちろん正直なことを言うと,こういうことは私の知らないところで進んでくれれば何にも考えないで済むのにということが一番正直な答えかもしれません。
D: 臨床で組織の再生情報というのをいろいろやっていますので,ちょっと別の立場から言わせていただこうと思うんですけども,ヒトES細胞じゃなくても,人間は健康になりたいという欲望が非常に強くて,他の動物の組織とか細胞とかあるいはたんぱく質を利用しながら,人間の体の治療に使っている部分はたくさんあるんですよね。そこまでしなくても,病気を受容すれば,受けとめて何とか生き延びていけばいいんじゃないかという気持ちもあるんですけども,やはり皆さん健康になりたいと思われているわけです。
 そこに動物のものを持ってきますと,今度は予期しない病気などが出てくることがありまして,いろんな技術はありますけども私自身そうした技術を診療科の方には導入していないんですね,危険が高過ぎるということで。その一方で,広島とか名古屋の大学では進められていますけども,自分たちの体にある幹細胞,ステムセルを何とか活性化して,そして組織の再生へ持っていこうというふうに治療が進められている部分があるわけです。これが一番望ましい形じゃないかなと思うんですね。私自身も,自分たちの体がつくるたんぱく質を利用して,それで治療に使えないかというふうなことを研究しているわけですけども,そうやって自分自身のものの,自分自身の体の中の能力を高めること,もしくはその一部分の能力をより集中させて使うことによって健康になるんであれば,一番いいと思うんです。
 ただ,それでいっても,器官,臓器とかは完全にはやはり治らない部分があったりしますので,ヒトES細胞とかから導入してつくっていって,そしてそれを移植するというようなことになってくるものが今後出てくると思うんですね。一番望ましいのは,私自身でも,私がもし病気になって腕がなくなれば反対側の腕の一部分をとってきて,またそれが再生できるように試験管の中でもいいですからつくってもらって,植えてもらったら一番いいんじゃないかと思うんですけども,そうなると人クローンにもかかわってくるようなことにもなってくるんで,本当にそこまでしていいのかなというところになるわけなんです。
 でも,人間健康な生活を送りたいということがありますから,それをやりながらいかに死にざまをきれいにするかというふうになると思うんです。死ぬときというのは必ず来るわけですから。死も一つの人生ですから,その中でどこまで人間の欲を達成させていいのか,いつも悩むところではあるわけです。でも,先ほど言いましたように,患者さんの方では健康になりたい,より活動的に行動したい,そのためには何とかできませんかというふうに悩みを持たれている方はいらっしゃるわけですね。それに対して,本当に答えを探そうとしていろいろ苦労しています。
 ヒトES細胞は,そうしたことを本当に夢ばかりを語る部分があるのかもしれませんけども,その可能性を持っている部分ですから技術を鍛えておかないと,人間の心が精神的に成長してそうした治療技術を受けましょうといっても,技術の方ができていなければ困るというのも事実だと思います。
 以上です。
A : ほかに何かございますでしょうか。
 人の世の中,特に病気とか死にまつわることに関しましてはいろんな考え方があって,それはそれでそれなりによいことであると。現実に,何かをやっていくか,やるのかやらないのかということに関してもいろんな意見があるわけですけれども,その意見のどこか適当な落としどころを探って今までもやってきたし,その経験に従ってまた考え方も少しずつ変わっていって,そして現在の今の社会があるというふうに理解しております。そのことに関しては恐らく委員の皆さんは同意されるんじゃないかと思うんですね。
 そういう前提に立てば,この委員会の中で議論を先に進めるということが可能なわけです。実際にはこの委員会はES細胞の使用計画を審査する委員会であります。ということは,ES細胞の存在そのものを前提にして話が初めて始まっているわけです。ただ,その点に関して先ほどI先生がちょっとES細胞の樹立ということに関してということをおっしゃいましたけども,やっぱりそこをクリアしないと多分なかなか話が先に進まないんじゃないかとも思いますので,どうでしょうかね,先生のES細胞に関する感覚といいますか,ES細胞についてのお考えをちょっと述べていただければと思いますけれど。
I : 私が余りそこで言うと話が先へ進まないように思いますので,どうぞ話を進めてくださっていいんじゃないでしょうか。
A : この議事録の1回目と2回目,特に2回目の議事録をお読みいただいたらよく分かると思うんですが,この委員会は可能な限り合意に従って進めるというお話がされております。ただし,同時に何人か委員がいらっしゃいますと,もちろん細部のある点でどうしても容認できないということがあり得るわけで,そこで全面ストップするというのもこれは社会の中にある一つの機構としては必ずしもいいとも言えないと。現実に,社会全体がそういうふうには動かないと思っております。だからある場合にはもちろん異なる意見があっても先にいかざるを得ないということはあるとは思います。全体を含めてどういうふうに進めていくかということは第2回の議事でやっておりますので,それにほぼ従ってやりたいと思っております。
 意見がちょっとでも違えば全然先にいかないということではないんですが,できれば,つまりES細胞そのものについて先生の感覚がもし今の段階でほかの委員にも分かっていれば,先ほどの最初にお話ししていただいたことでHさんがおっしゃっていただきましたけども,論点が一層明確になりますので,ES細胞についてもどうぞ遠慮なさらずに今の段階で感想を言っていただければいいんですが。先生はES細胞というのをどのような感じで受けとめられますか。
 具体的な質問をするといたしますと,先生は先ほどES細胞の樹立ということは余り容認できないというふうに確かおっしゃいましたよね。容認できないという言葉じゃなくて,樹立ということにちょっと拒否感があるということでしたか。
I : そうですね。拒否感という。
A : その点をもうちょっとそれを敷衍して。
I : いえ,それは多分胚からつくるということに対する拒否感だと思います。だから,確かに皮膚を培養してやけどなんかの治療に使うという,そういうことには拒否感はないんですけれども,その点が違うということはやはり人間になり得る胚を使うということについての拒否感だと思います。
A : 胚から出発するES細胞がヒトのほかの組織の細胞とは異なる意味を持っているだろうということは,恐らくこの委員会でもコンセンサスに近いと思うんですね。前回でもそういう議論がございました。ただ,恐らくはその胚の重みをどのぐらいに重く思うかというところに多分一人一人の委員の間で少しずつ差があるのかなというように思っているんですけどね。
 それでは,そのES細胞の存在を前提にして使用計画があるわけですけれども,もし使用計画を審査するとすればどういう基準でやるかということの素案がここにあります。この具体的な議論に入ってよろしいでしょうかね,この段階で。前回総論から少し入ったところですけども。I先生,それでよろしいですか。
I : はい,結構です。
A : それでは,この段階に入りたいと思います。
 ここに素案その2となっておりまして,日付が3月19日となっております。これは前回の議論に基づいて一部修正した案を出しているわけです。その修正点は幾つかあったんですけども,完全に修正はされておりません。
 修正点の一つは,ES細胞がどういうものであるかということを簡単にでも定義を入れた方がよろしいということで,総論の基本的な考え方の第2段目に,「ヒトES細胞とは受精後」云々ということをここに入れました。
 それからもう一つの議論は,ES細胞に限らずヒトに由来する細胞組織に対しては何らかの意味があるということで,その考え方をベースに入れた方がいいのではないかというお話がございましたので,「ヒトES細胞取扱い姿勢」の頭に「ヒトに由来する組織細胞に対して,単なる物や動物の組織,細胞に対するものとは異なる何がしかの敬意,畏怖の念を持つのは自然な感情である」という,こういうふうにこの委員会としては考えるという意味でこの文章をつけ足しております。
 ヒトES細胞の尊厳の由来というのは,潜在的には個体になり得るヒトの胚を滅失して得られるものであるというところが一番基本的に重要なポイントでして,それプラスこのヒトES細胞をつくる,すなわちヒト胚を実験に使用するに当たってはその裏に提供者の精神的な苦痛その他があるということ,以上の3つが,言葉の選択はあれですけども,ヒト胚のある種の尊厳の由来であろうと考えます。
 前回,総論的な基本的な考え方とか,こういうものをつくるに当たって全体の構造についての御意見をいただいたんですけれども,前回御出席いただけなかったG先生,何かこの基準案について御意見がございますでしょうか。
G: 今までのところ何も問題ありませんけども,私は。
A : I先生はこれを初めてごらんいただいたわけですけども,どうでしょうか,少し御意見をいただければと思いますが。
I : ちょっと今まだ具体的には申し上げられません。すみません。
A : これは議事録にもありますけれども,要するにこれをこういう文書をつくっている意図は,具体的な使用計画を審査するに当たっていきなり申請書を見るよりも,審査委員会の中で審査に当たっての基本的な考え方とか基準をはっきりさせた上で申請書を見ようという,そういう方針に基づいてこれをつくっております。
 はい,どうそ。
E: 1ページ目の1のヒトES細胞取扱い姿勢の中のそこから数えて5行目の「他の細胞とは異なり,礼意を持ち」というところ,「他の細胞以上に」とした方がよいのではないかと思います。他の細胞も人間のものである限り,やはり一応尊重に値する,丁重に礼意を持って扱う必要があるだろうということから。
A : なるほど。ただ,「以上に」というと何か相対化されて。
E: はい,されますね。
A : ややES細胞に対する大事さが少し低下するような気もしますね。
E: 他の細胞も礼意を持って扱わなければならない。その移植に使われなかった臓器も礼意を持って扱わなければならない。これは人体由来のものであれば,やはり人間の尊厳との関連ですべてそうといえます。
A : なるほど,分かりました。
E: そういう倫理的要請があるといえると思います。
A : そうですね。
E: それ以上に特別に,という。
A : どうぞ。
G: その上ですけど,これはあった方がいいかどうか,ちょっと御審議いただきたいんです。その「由来となった胚は」というところで「提供者のインフォームドコンセントを得たものであり」か何か,要りませんかね。やはり提供者の同意はあるわけですよね。だから,嫌だと言われる方のは絶対つくってないわけですから。
A : そうですね。どうしましょうか。
 つまり,それを書かなかったのは,それは暗黙の前提だったんですね。ここに書くことがかえって善意とか心情を大事に思うところをちょっと意味を弱めることにならないかなというのが,私,今先生の御意見を伺ってのちょっとした危惧なんですけど,表現次第ですね。
G: 分かりました。それはそれでもいいと思いますけど……。
A : ちょっと考えてみます。
G: ただ,一般の方が目を通されるとすると,やはり提供者の方が同意されているというところがあってもいいのではないかなというふうに思いましたが。
A : 事の前提がちゃんと入った方がはっきりすると。はい,分かりました。
 そのほかに意見ございます。
 はい。
D: 今の段落のところですけども,この1段落,一番最後の文章のところで「その樹立,使用に当たっては」ということと,一番最後のところに「ヒト胚が乱用されることのないように」とあるわけですけども,樹立のことも今後可能性があるとして考えてこうした基準をつくっていくのでしょうか。それとも,樹立した細胞を使うことだけに絞るのでしょうか。
A : そうですね,そこはちょっと考えなくちゃいけない。つまり,当面は現実的なことを申し上げれば樹立の計画はないです。だから,それもちょっとお考えいただければいいんですが,私自身の頭にずっとあったのは,これは使用計画に対する基準であって,恐らく樹立ということになりますとこれでは不足だと思うんですね。もっと樹立のところのそれこそ提供機関との関係とかそのあたりをもっとぴしっとやらないと,とても耐えられないので,この基準案そのものは使用計画についてだと思っております。
D: 私もそのように理解しておりましたので,それで樹立のことに関してはここは……。
A : 削った方がよろしいですか。
D: 削除した方がよろしいんじゃないかと思いました。
A : はい,分かりました。
H: 先生,1つよろしいですか。
A : どうぞ。
H: その1の取扱い姿勢の最初のところなんですけれども,単なる物や動物の組織,細胞に対するものとは異なるというふうに入れてくださっているんですが,物とは当然異なりますし,この後の取り扱いの具体的な項目の中で,動物の細胞とは違った取り扱いをしなきゃいけないということは出てくるんですが,この総論の部分で言いたいことというのは,細かい話なんですけど,物と違うということと動物と違うということはまた違う話になってきますよね。なので,ここは物だけでもいいのかなという気がちょっとしたんです。どうでしょうか。
A : おっしゃることはよく分かります。つまり,これはこの以前の議論にもあったように,動物の命もある種の尊厳があるし我々はそれに対するある種の心を持っているわけですね。物とは違う。そうすると,難しいのは,物と動物が違うし動物と人も違う。我々の自然な感情からいうと,動物でもある種より人間に近い動物の方がもうちょっと何か心理的なさまざまな抵抗感があるということなわけですね。それをみんなここで述べるのは多分難しくて,それではじゃあここで物と人間だけを対比させていいのかというと,やはりそれでは人間の組織に対する重みが出てこないのではないかということで,涙を飲んでここは単純化したというふうに思っているんですけど。
 ございますでしょうか。
 もし総論的な,総論,基本的な考え方の前文といいますか,これはじゃあよろしいですか,こんなところで。
 それで,今ちょっと1番のヒトES細胞の取扱い姿勢というところで幾つか修正点がございましたので,それは次回までに修正して新しいバージョンを出したいと思います。
 2番以降は,かなり細かい項目にわたっておりますので,ちょっと具体的に見ていきながら御意見をいただきたいと思うんです。
 2番目の研究者,研究体制,これは「使用計画に参画する者はここに定める事項を遵守,実行するに足る経験と十分な能力を有すること及びその体制のあることを申請に当たってみずから示さなければならない」ということになっております。これは使用計画書がそれを明らかにするし,もしそれが不足な場合は御本人にここに来ていただいて説明をしていただくと。そういう機会は是非設けたいと思っておりますけども,この部分はこれでよろしいですか。
 それから,後で御意見があればいつでも伺いますので。3番のES細胞の由来は,「適切な条件下で樹立されたヒトES細胞のみを使用する」と。「基本的には,指針に示された条件に従う」というふうに書いております。これは「基本的には」と書いてありますのは,指針に従わなくてもいいという意味じゃなくて,指針に示されたこと以外のプラスアルファの御意見がこの中から出てくるかもしれませんし,それで「基本的には」という言葉をつけてあります。
 それから,4番の研究目的は,これはほとんど指針に書かれてあることなんですね。これは明確にこのように書かれておりますので遵守すべきだと思います。この目的は広過ぎる狭過ぎるというような御意見がございますか。先ほど言いましたように,これは指針に書かれておりますので,基本的にはこの範疇からはみ出るような目的は恐らく認められないということになります。これにさらに付加的な条件をつけて,狭めることは可能だと思いますけれども,どうでしょうかね。
D: 理解のために教えてください。
 最後の文章にあります派生物とあるんですけども,これはこのES細胞にかかわるすべてのものと考えてよろしいですね。細胞から,細胞から派生したたんぱく質とか無機物であっても。
A : 一応,そのように受けとめられますね。ただし,この派生物というものが,僕は細かい定義がされているかどうか明確に把握していませんが,たんぱく質,無機はいいけれども有機はだめとか,そういうことまでの詰められた定義にはなってないんじゃないかと理解しておりますけど。例えば,そこから抽出したものとか,そういうものはだめということでしょう。
D: 逆に言えば,ES細胞にかかわるものすべて,人体には使ってはいけませんよと。
A : そうですね。
D: 動物にはいいですよと。
A : 少なくとも,この指針の段階では人には使ってはいけませんよと。ただし,これはほかの部分も含めてそうですけども法律で禁止しているわけじゃないので,別の指針というか,別の検討ができて基準ができると国段階では使用が許可されるということもあり得ると。だけども,現在の段階ではそれは一切やっちゃいけないというふうに理解しているんですけど。
D: はい,分かりました。
A : したがって,我々はこういう研究目的,使用計画が研究目的に合っているかどうかということをチェックして審査する必要があるということであります。
 それから,5番目は科学的根拠でありまして,これは指針にも明確に書かれておりますが,文科省の専門委員会でもこの点についてのチェックは非常に厳しいものがあります。すなわち,その研究計画にとってヒトES細胞の使用が必須であって,既に動物ES細胞を用いる研究等によってヒトES細胞の段階に進むための十分な科学的根拠がある場合に限るということになっているんですね。だから,何かちょっと思いついたことをヒトES細胞でやってみようという研究は現在の段階では認めないということだと理解されます。
 6番の禁止事項は,これは当然と言えば当然ですけど,指針に明記されている。これは資料をごらんいただけば分かりますが,禁止事項が例を挙げて明記されておりますので,それに抵触するものは認めない。
 それから,研究の公開ということも指針で明確に言われております。これは基本的に大事なことでして,倫理というのは本来研究が公開されなければ守りようがないといいますか,そもそも倫理の大前提は人間の社会の中で何が行われることが妥当であるか妥当でないかということの問題ですから,情報を共有するということは必要だろうということで,研究の公開の原則。
 それから,信頼性の担保ということで,管理,進行状況を定期的に報告を我々の方で受けて,我々あるいは研究科長に出して,必要な場合は調査もするし確認も行うと。
 それから,外部の意見聴取というのは,これはもしもこの委員会の手に余るような事項が出てくれば,そのときに外部の意見を聴取するということであります。
 それがやや総括的な部分でありますけれども,全体としてどうでしょうか。
 E先生,御専門の立場から何か不足点がございますか。
E: 問題ないと思います。
A : C先生,いかがですかね。
C: いいと思います。
A : I先生は何か御意見ございますか。
I : いえ,特にございません。
A : よろしいですか。どうぞ。
D: これは岡山大学の大学院医歯学総合研究科の中での研究に対する指針といいましょうか,審査の基準だと思うんですけども,もしこれが機関外との共同研究であったりとか国際共同研究であった場合,その別な機関に出向いてやるような研究に参加する場合,これはどのようになるんでしょうか。単独の場合と共同の場合は少し難しくなってくると思います。日本国内はこの倫理指針がありますので,それでオーケーでしょうけども,国際共同研究となりますとなかなか難しいですよね。
A : 出向いて研究をするというときに,僕もそれは余り考えてなかったんですけれど,例えば人がアメリカならアメリカに行くとか,あるいは東南アジアの国に行って研究をするというときには,その人に対する縛りをここで審査するということは起こらないんじゃないですか。つまり,その研究そのものはその当該の国の研究所でやられているんであって,したがってそこの研究所のルールで倫理審査をやって,その管理下の中に置かれると。だから,個人のビヘービアに関してこの倫理審査委員会が何かを管理するということが想定されますかねえ?僕は想定されないのかなと思ったんですけど。
D: 例えば,海外との共同研究で,ある部分は,つまり日本でやる部分に関してはこの指針とかこの基準に従ってその範囲の実験をやります。例えばフィギュア1に関してはこれです,ところがフィギュア2に関してはアメリカの研究所の指針ですから,日本のものと大分違うものがある場合がありますね。論文としては1つとして出るわけですので,共同研究者として名前が出てしまうわけですけども,フィギュア2に対して私たちは責任を持ちませんというんであればいいんでしょうけど,どうなんでしょうか。
A : それはどうですかね。ちょっと僕もそこは考えていませんでした。G先生,お願いします。
G: 恐らくその当該研究機関の倫理委員会によるとなっていると思います。だから,それでいくと思いますけれど。
C: 2つの研究機関が関係していれば,両方の倫理委員会の許可を得ているというのが論文の場合に出てくるんじゃないんですかね。この前の韓国からの論文もアメリカと韓国の両方出たように思いますけども。
A :そういう場合に両方の倫理委員会が通るのは僕は当然だと思うんですが,今僕は話を伺って,もしもヒトのES細胞を使ってある種の,この大学でES細胞のある部分までの分化をやると。それが外国の研究所で,例えばそれを動物の体内に戻すというようなことが容認されているような研究所があったとして,そこに細胞を送って,そこでその大学では倫理審査委員会を通りますよね,その基準を認めているから。そうすると,そういう研究に参画しちゃうことになるわけですね,結果的に。そういうことがどのように扱われるのかということについては,でもやっぱり,あ,そうか,起こり得ないんですね。配付できないから,第三者に譲渡しちゃいけない。
E: ES細胞の場合ですか。
A : はい。
E: しかし,ちょっといいですか。
 一般的に共同研究は起こり得ますよね。この分野でなく,例えば疫学であれヒトゲノムであれ,すべて共同研究機関になっているならば当該のところで全部個別に審査を受けていますね。それが実は逆に煩わしいのかもしれませんが,そのようなシステムになっているので,恐らく共同研究と名がつくならばよそでも相手方は当該所属の研究機関で審査を受けて,ここの医歯学総合研究科の人はここで審査を受けるということになるでしょうね,ダブって受けるようになるということだと。
A : はい,G先生。
G: だから,ここに共同研究やると,プロジェクト計画は一応出るわけですね。あるところで今度移植するとかという計画は,もちろんこの委員会に出るので,この委員会で否定すればいいわけですよ。
A : つまり,一まとめの研究計画は,たとえその部分が外国の研究所で行われるにしても一まとめの研究計画として申請してもらって,ここで審査をして,引っかかりがあればそれは却下すると。そういうことですね。
G: 私はそれでいいんではないかなと思いますけれども。
A : なるほど。
D:と申しますのは,自分自身がもしこうした研究をやるとして,日本でできない部分があればその技術をもって,ES細胞はアメリカから輸入する場合が多いわけですから,アメリカに出かけて元のES細胞を同じように分化させて,向こうで移植したらどうかなと考えたりする部分も出てくるわけですね。そうすると,日本国内でやったことに関しては許されるわけですけども,その技術をもって海外に行って,分化し直して移植したら,結果が纏まって同じ論文出て来ることもあり得るわけです。それはちょっと倫理的にいいのかなと思ってしまうところがあるわけです。
A : それは,つまり非常にあくどくやるということですよね,ある意味で言えば。そういうやり方を禁止する方策がありますかね。例えば,先ほど一連の研究計画として出していただければというふうに言いましたけれども,それは別にそうしたくなければしなければこちらは分からないわけですよね,分離して出されると。そうすると,そのことについては絶対的に禁止することは不可能なんじゃないですか。もう少し,やっぱり個別の倫理委員会の審査云々ではなくて,社会的な制裁を受けるというような言い方しかできないような気もしますが,いかがでしょうか。何か方策があります。
I : 私は共同研究の実態などが分からないので,見当外れなことを申し上げるかもしれませんが,それは防げないような気がいたします。そのかわり,そういう研究をもとにまた次に日本で,例えばこの大学でその継続研究をするというときに,日本では認められない研究をよそでやったことを基礎としてその上に積み上げていくというときに,却下するということは大いになし得ることではないかと思いますが。
A : そのとおりです。その部分に関しては必ず歯どめがかかると思います。誤解のないように申し上げますけど,今のは極端な事例で,現実には我々の,普通と言ったらおかしいですけど,科学者の間でそういうことを実際にやるという人がいるとは想定していません。それほど極端な事例なんですね。その場合でも,もちろん日本に帰って継続してということになれば,当然却下されます,今,I先生がおっしゃったように。
 共同研究に関して,何かここにつけ加えておいた方がよろしいですかね,あえて。
G: 例えば日本でやれないような共同研究を外国でやられるとしたら,その人のポジション,籍を岡山大学から抜いていただかんといけませんね,発表のときね,はっきり。そっちの外国のところでの倫理委員会で通ってやっているわけで,こちらは通してないわけですから,やめてもらえばいいわけですよ。
A : そうしたら,例えばこういうことは可能ですか。
G: いや,だけど今のは非常に極端な例で,先生が言われたようにやはり科学者の良心というのがあって,それにのっとってやっているわけですから。例えばES細胞なんか,日本で非常に規制が厳しいから,私自身も外国へ行ってやろうかなといつも思っておりましたよ。だけど,なかなかそういうわけにはいきませんね,難しい。
 以上です。結局,さっきA先生が言われたように,科学者の良心の問題。あるいは相手方の研究者の倫理委員会があるわけですから,そのあたりで折り合いつけられたらいかがですかね。
A :この審査項目とその基準というのは,これを一たん出してずっとこれが法律のように何か独立したルールのように生きるというふうにも必ずしも考えておりませんで,必要に応じてどんどん付加もするし手も加えるというようなものだというふうに私は理解しております。これは基本的には内部の,もちろん公表はしますけど,我々がコンセンサスとして持っているある種の基準であるということですので,例えば極端に言えば共同研究の申請が出てきたときに共同研究のセクションをつけ加えても,それは全く支障がないというようなものだと理解しているんですけど。
 それでは,共同研究に関しましては,今のところはすぐに項目を起こさないで,もし計画が出たときに今のような観点に立って考えるということでよろしいですかね。
 それでは,総論的な部分に関してはよろしいでしょうか,これで。
H: よろしいですか。
A : はい,どうぞ。
H: 大変細かいことですけれども。まず4番のところで,これは後のDの項目とも関係してくるんですけれども,今指針を見ていたんですが,指針だと医学研究の部分のところというのが,新しい診断法,予防法もしくは治療法の開発となっていて,Dの方は診断法や治療法の開発と,Dの1ですけども,なっていて,大変細かいことなんですけど,医学として治療,診断,予防というのが違うことなのであれば,入れてあった方がいいのかなと思いました。
A : 統一した方がいいということですね。
H: 統一と,それから全部入れるのであれば入れた方がいい。
 それから,これは知らないので教えていただきたいんですけども,その次の行のところで細胞や派生物を移植するという言葉があるんですけれども,指針では導入という書き方がしてあったのですが,移植と導入というのは意味が違うんでしょうか。
A : 恐らく導入の方が幅広く物をカバーする言葉じゃないかと思いますね。だから,導入の方がいいかもしれませんね。そのように直します。
H: 分かりました。
 それから,7番の公開のところですが,これは適切な方法でとあるので,そのときに公開がどういうふうにされるか,その方法が適切かを一応判断することになるんでしょうか。それとも,ある程度想定された方法があるということでしょうか。
A : これは研究経過とその成果,特に成果に関しましては通常の我々の常識的な感覚では知的所有権というか,何かのそういう意味があって,しばらくの間伏せるということはありますけれども,そういう例外を除けば成果が出ると学会に行って発表して批判を受けると。それを最終的には論文に書いて報告する。そのほかには,どこかから資金の提供を受ければそれに対する報告書として出すというようなことだと思うんですけど,それを全部列挙してどれかにしなさいとか,こういうことを書くのはちょっと何ですので,そこで適切な方法というのはそういう意味です。
E: いいですか。
A : どうぞ。
E: 通常,研究の公開というような場合,インターネットで公開するとかそういうことを指す場合がありますね。そこを視野に入れた文じゃないかという気がします。学会で報告するということよりも,一般の人々に公開するという意味で「研究の公開」と。
A : なるほど,はい。
 僕はちょっとそこは考えておりませんでした。
A : つまり,そこでの意図は,専門の世界というか学会等で専門誌で発表するだけではなくて,一般社会も自由にアクセスできるような場所に公開するという,そういうことが要件として必要だということですか。はあ,分かりました。それは大事なことです。なるほど。
E: いずれはっきりさせた方がいいでしょうね。
A : いいですね。それはちょっと修正します。
H: じゃ,それは御検討いただくということで,次の8番で定期的かつ継続的に報告を受けていくというところがあるんですけれども,これは常識の範囲で思っておけばいいのか,ある程度これぐらいの頻度でしてくださいというようなことを示した方がいいのかというのが分からなかったのですが,どうなのでしょう。
 それから,使用計画の変更が出てきたときにどうするのかというのはここに入るのかなと思いましたが。
A : 分かりました。まず,第1の点に関しましてはどうでしょうか。ここで議論していただきたいんですけれども。
G: 医学部の倫理委員会では今臓器移植とかをやっていますよね。それで,その報告がどうなっていますか。ある程度たまったとき報告を受けているように思いますけれども。だから,そう定期的に,例えば3カ月ごととかというふうにしてないんじゃないかなと思います。私が医学部の倫理委員会をやっていたときは,例えば肝臓の生体肝移植が何例来ましたとか,無事退院されましたとか,そういう報告がそれぞれの委員会をやったとき最後に報告が出ました。だから,その委員会のときに間に合えば,それまでの結果を簡単に報告していただくというふうなことでどんなんですか。
A : 今の点に関しましては,僕ちょっと正確な記憶じゃないんですけれども,専門委員会でたしかどれかの事例についてそういう議論があって,1年に1回議論をするのではちょっと長過ぎるから半年ぐらいの方がいいかというような意見があったと思います。このES細胞の倫理審査委員会はほかの倫理審査委員会と違って対象が非常に限られておりまして,ヒトES細胞を取り扱う研究というのはそんなにたくさん出てこないだろうと予測されます。ということは,今回の使用計画の審査が一応終わるといたしますと,しばらく休会になるんじゃないかと思うんですね。だから,それを含めて考えると,半年とか1年とかと何か基準を決めておいた方がいいかもしれません。
G: だから,計画書を出すとき実験完了の予定日というのを出していただくと。その近い段階で一応ES細胞倫理委員会で聞くと,それでどうですか。計画書の中に入れていただく。
A : いや,恐らくちょっともう確認してみなくてはいけないんですが,それでは多分少し間を置き過ぎだと思います。つまり,研究が2年かかる研究計画,あるいは3年かかるといたしますと,その間報告がないことになりますので,少なくとも1年に……。
G: その研究報告の中に,ところどころに報告というのは入れていただけばいいんですが。
A : そうですね,そういうことですね。
 最低限年に1回というのはどうでしょうかね。専門委員会の議論からしますと半年でしたけど。
G: それはちょっと長いように私は思いますね,
A : 半年でよろしいですかね。
G: そうですね。
A : じゃ,半年に1回ということに。
 それから,先ほどのHさんの2番目の点ですけれども,研究計画が変わったときというのはこれは新しくちゃんと申請してもらうということにはなると思います。これもどっかに書いておいた方がいいかもしれません。
G: そうですね,それは必要です。
H: あと,先生,大変細かいことですが。
A : どうぞ。
H: 5番の2行目のところ,「動物ES細胞を用いる」の「を」が落ちています。
A : あ,そうですね。ありがとうございます。
H: それから,今指針についての研究成果の公開の該当のところを見ましたが,これは何か一般的な。
E: 細かく書いてないですね。
H: 分からないですね。
E: これからは分からないですね。
G: 一般的にでしょ。一般的でいいんですか。
A : たしか具体的な,議事録の中にそういう議論がちょっとあったように思うんですけど,1年は長いとか。
E: いや,それじゃなくて今研究成果の公開の仕方の。
A : あ,成果の公開ですか。
E: ここの指針の中にはそのことは出てないですね。でも,これは必ず検討する必要があると。
A : そうですね。
H: 指針のもうちょっと前のところで一般の人に分かるように書けというものが出ているので。
A : そうすると例えば研究,使用計画を推進する人に,インターネットでちゃんと公開するようなホームページをつくって進捗状況その他を報告しなさいということを言わなくてはいけないということですね。どうでしょう,その点に関しては。
E: どこまでやるかですね。
G: ちょっとそれは細か過ぎだと思います。やはり,一般に公開するか,原則でと書いていますけれども,それでいいんじゃないかと私は思います。
A : そうすると,ここの適切な方法で公開するということでよろしいですか。
G: ええ,それで十分だと私は思いますけれども。
H: 先生,使用計画自体は何らかの形で公開されるんですか。というのは,今指針の使用計画書のところを見ますと,「使用計画書には可能な限り平易な用語を用いて記載した概要を添付する」というのがあって,これはもしかしたら専門家ではない委員のためということかもしれませんが,公開を念頭に置いたものなのかもしれないと。
E: それどこですか,今結果を公開せよというのは一般的な倫理委員会等の。
H: これは計画の方。
E:「可能な限り平易な用語を用いて記載した概要を添付する」ああ,これは公開を前提としたものではないと思いますね。
H: ではないと。
A : 使用計画の公開というのはこれは実験のアイデアそのものがかかわっているので,少なくともディテールを公開するのは非常に困難な話じゃないかと思うんですね。それで,たしか専門委員会の議論の場合も,あれはマスコミに公開されているわけですけど,実は計画の具体的なところは公開していないんですね。それはやはり計画そのものがある種の知的財産的な価値があるということだと思うんですけど。
 そうすると,いずれにしても全体の流れとしてこれからの時代は大学で何が行われているかということを積極的にオープンにしていくということは必要であるにしても,具体的にここに審査基準としてホームページで公開するということを現実に要求するというようなことは,特に明記しなくてもよろしいということでよろしいですかね。
E: 難しいところはありますね。これ,今日配っていただいた9ページかな。今日いただいたヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針に関する論点整理メモの10ページですね。10ページの真ん中の列の一番下のところに,ホームページ等で公開を行うことが求められるというふうな記載が一応あるのはありますね。
A : それ,どこですか。
E: 公開の方法として,学会の場で報告したからここで言う公開に当たるかというと,そうではないんじゃないかという。ホームページが一番分かりやすい。しかし,全部逐一出す必要があるかというと,そこまで要求されないんだと思うんですが。
A : むしろこれはあれですかね,この倫理審査委員会のホームページで,この審査委員会にかかわる研究はこれとこれとこれで,大略こういう研究が行われていますということを言う方がいいような気もしますね。各研究室のホームページ云々というよりも。それは倫理審査委員会の仕事が増えてしまうんですけど。
E: どこが主体として出すかということですよね,もう一つ。
D: A先生が言われたのを実は僕も言おうと思ったんですけども,大学として戦略的に岡山大学の価値を上げていくためには,大学そのものが情報公開に踏み切らなければいけないと思うんですね。倫理委員会としてのページを研究科の中のホームページの中につくっていただいて,そこのところに各研究者がまとめられたものをそこで吟味して,これだったら出してもいいだろうとか,これだったら大学の価値を高めるだろうという文章に書き直させていただいたりして出していくとよろしいんじゃないかと思います。その方が各研究者への負担も減ってくると思います。
G: だけど,既に今この委員会の内容はホームページへ出ているわけですよね。まだ出てないんですか。
A : 準備中です。いずれ近いうちに議事録も含めて公開する予定ですけど。
G: だから,そこで研究成果の報告もあるわけですから,これでいいんじゃないですか。ホームページでは,必ず出るんじゃないですかね。いかがですか,そこは。だから,E先生,いかがですかね。
E: ホームページである程度のことを公開するということです。
A : 今までの感じですと,ここでのこういう申請があって,こういう審議をいたしましたという報告を出すことになっておりますので,そこに研究計画の一覧が分かるような形でもうちょっとセクションを設けて情報を提供すると。その提供の資料としては,実際の研究をやっている人たちがその観点から差し支えないと思う,知的財産とかそういうものを含めて差し支えないと思う範囲のものをこちらに出していただいて,そこで,ここでチェックをして,必要があるもの,それからもし足りないものがあれば要求もするし,その結果でホームページに載せるということで,そういうふうに対応しましょうか。
 では,公開に関してはそのようにいたします。
 それでは,いいですか。総論的な部分。もうあと時間がかなり少なくなってきたんですけど,できればこの具体的な検討項目を全部やり切れなければ,インターネット等を通じて継続でいいんですが,ちょっとそれをごらんください。
 ここは指針にかなり依拠してどういう要件を満たすかということをチェックするということをかなり細かく具体的に書いてあります。例えば,使用機関の要件としては,例えば責任が明確になっているのか,規則は定められているかとか,こういう点を全部チェックした上で,最終的な報告書に,こういう観点から審査をしたところ,これはオーケーであった,オーケーであったということの形にするために,項目を列挙してあるわけです。
 Aの使用機関の要件でお気づきの点はございますでしょうか。
 よろしいですか。
 はい,どうぞ,意見。
H: 先生,専門委員会の議論の中で,ES細胞の管理体制がきちっとしているかどうかということがたしか論点に上がっていたような覚えがありましたが,それはこの中に,3番などに含まれると思っておけばよろしいでしょうか。
A : むしろ,もうちょっと5番に関係するかな,使用履歴,記録と情報,そのものの保存ですね。そのものの管理とそれに附随する情報の管理ということかな。
H: 専門委員会の議論はどちらかというと細胞自体の管理の,かぎがどうだとか,そういう施設のことだったような。
A : 分かりました。それは必要ですので独立した項目として入れましょう。
 よろしいでしょうかね,いつでももとに戻ってくださって結構ですけども,Bの使用予定のヒトES細胞に関しましては指針の規定に準じて樹立されたものかどうかということです。
 それから,樹立機関のオーケーを得ているか,それから無償で分与されることが必要ですので,ここに書いている。
 この点は,結局どの樹立機関のES細胞を使うかということに非常にかかわっておりまして,もしも日本国内で樹立されたものを使う場合には,この点の審査は大幅に軽減されます。というのは,樹立機関の方が同じ専門委員会で厳しいチェックを受けておりますので,その点は楽だと思います。
 それから,研究計画の倫理的妥当性について。
 どうぞ。
H: 2つあるんですが,1番,2番のあたりというのは項目としてはこれでいいと思うんですが,かなり専門委員会の議論でも問題になっていた記憶があって,何か具体的な形をある程度示す必要があるかどうかということがあります。
 それからもう一つは,4番のこれがまさに動物とは別だという問題のところだと思うんですが,ある程度こうなっていますよということを示す必要があるかどうか。専門委員会では図面を提出させるというようなこともありましたので。
A : 確かに,少し具体性に欠けるところがありますね,ここの部分は。
 ほかに御意見ございます。
 それでは,その具体性に関しましてはちょっと検討させてください。次までにどの程度具体的なことが言えるか。余り細かく具体的な規定をするのでもないけれども,でも何らかの具体的な策があった方がいいように思います。確かに,図面をもって研究環境が整っていることを説明するというようなことが必要かもしれませんね。
I : よろしいですか。
A : どうぞ。
I : 次の研究計画の科学的妥当性というところと並べてみますと,研究目的というのはすべて科学的妥当性の方に含んで書かれておりますが,研究目的を倫理的妥当性があるかどうかという観点からも見るということは必要じゃないでしょうか。
A : なるほど分かりました。
 これを先頭,倫理的妥当性の1番に入れましょう。
 ほかにございますでしょうか。
 よろしいですか。
 次は研究計画の科学的妥当性ということですけれども,これは主に指針をベースにして,こういうものに指針で要求していることに合致しているかどうかということを中心に書いたものであります。
 Dの1の文章の単語は,先ほどHさんに御指摘いただいた部分を修正したいと思います。
 よろしいですかね。
 次の研究成果の取扱いに関しましては,今公表の議論がございましたので,その観点から少し修正が必要だろうと思います。
 それから,使用責任者ですけれども,責任者はそこにありますように「業務を行う必要があることを認識して的確に実施できるか」,倫理的妥当性,このようなことですね。
 それから,「ヒトES細胞の使用に関して十分な専門的知識及び技術的能力を有しているか」,これも審査することになります。
 以下,研究従事者,使用計画書ですけれど。
 F先生,ちょっと遅れて来られまして,何か御意見ございますか,その関係で。
 先生が前回言われた手続の問題とペナルティーの問題,まだ修正しておりませんので,この次まで考えさせてください。
F: 了解しました。
 次回までに考えられるということなので提案者として,一応私のイメージを申し上げておきます。倫理委員会ですので強い制裁力を持つわけでもありません。要するに手続違反があった場合に,この倫理審査委員会としての審査を中断をして,手続違反があった旨を研究科教授会に報告をするというようなものを考えています。もう少し詳しくいえば場合によっては懲戒相当ぐらいの重大違反があるかもしれないので,そのあたりの判断は教授会に任せることにして,審査会,委員会としては審査を一時中断するにとどめると。その中断するに当たっては,当然使用責任者から意見を聞かなければならないという形にして,こちらも手続をきちんと踏まねばなりません。ですから意見を聴取してその上で妥当性を欠くというふうに判断したら審査を中断して,中断した旨,研究科教授会に報告をして,そこから先は教授会の方にお任せをして,改善されたらまた再開するとかという形の程度なのかなというふうにイメージをしています。
A : 分かりました。ありがとうございます。
H: 先生,ちょっと戻ってもよろしいですか。
A : はい,どうぞ。
H: Dの科学的妥当性のあたりですけれども,専門委員会の議論の中で自分でメモしたものを今見ていて,指針と関連して幾つか論点として上がっていたのは,研究機関の妥当性とか,それは科学的にということですけども,それから研究の新規性や独自性,これは国際競争なども意識しているようでしたが,それからあとは研究者の役割分担というか,なぜこの人が入っているのかとか,そういうことが論点としてあったように思うので一応申し上げます。
 それから,禁止事項の関連になるのかよく分からないんですが,今回出ていた新しい論点整理のメモの中に,使用の範囲はどうなのかとか,分化細胞の取り扱いはどうするかといった論点が上がっていましたが,そのあたりの考慮の必要があるのかということ。
 それから,結果的に乱用にならないように,全能性があるから生殖細胞とか神経細胞になるということも意識するべきだと,メモの中にあったのですが,そのあたりはここに関連するのかなと思いました。
A : 分かりました。今のは確かに重要なので,そのあたりを意識して必要な修正をし,審査を進めましょう。
 それでは,予定された時間を過ぎておりますので,一応今日のところはざっと審査項目及び基準というところを全体見ていただきました。それで,幾つも修正の御指摘をいただきましたのでその観点から私なりにまた修正案をつくりまして,皆さんにインターネットでお送りして,またその修正案を見ていただいて,できれば次回,また約1カ月後を予定しておりますけれども,次回の委員会までに一応これをつくり上げると。
 余り審査基準ばかりつくっているわけにもいかないので,一応次回までには形にして,また議論の中で新しい視点が出てくればそのたびにまた修正すればいいことですので,次回の始まりまでにこれをつくって,次回は具体的な使用計画の審査に入りたいと思います。次回の委員会までに使用計画のコピーを先生方にお送りいたしますので,それをごらんいただいて今回決まった審査項目に照らして,どういうところに,どういう形で具体的にチェックをすればいいかお考えいただければありがたいと思います。
 よろしいでしょうか,大体。何か御意見ございましたら。
 F先生,議事録のチェックを最初にやったんですけど,先生,何かここで特別先生の修正点もほかの委員の先生方から特に御意見ありませんでしたが,先生,何か付加のコメントございます,議事録。
F: 前回の議事録についてですか。
A : はい,そうです。
F: いえ,特には,私が一応修正を希望したところが承認されたのであれば,特に他の箇所については何もございません。
A : それでは,これで今回の委員会を終えたいと思いますけれども,次回の委員会はどうしましょうね。
事務担当: メールにしましょうか。
A : またメールで回り持ちでやりますかね。
事務担当: その方がよろしいですか。
A : 次回の委員会の予定についてはまたメールで先生方にお伺いするということでよろしいでしょうか。
E: ここで決められるのが早いんじゃないんですか。
A : そうですかね。例えば候補は,ゴールデンウイークの前ですね。
 23日金曜日。4月23日金曜日というのはいかがでしょう。
事務担当: もしくは26日の月曜日か。
A : 26日の月曜日。
事務担当: はい。
D: 手帳を置いてきてしまいましたので,ちょっと今即答ができないんですが,どちらも何も入ってなかったと思います。
A : I先生,いかがですか。
I : 私は2時までゼミがあって,金曜日の午後2時までゼミがございますが,月曜日はその週であれば何も入っておりません。
A : 例えば,月曜日の1時から3時というのはいかがでしょう。
E: 二十何日。
A : 26日かな。26日の。
E: じゃ,原則第4月曜日ですか,何かそんなふうに決めておいていただければやりやすいという気がするんです。来年度から。
A : そうですね。
E: 何かそんなふうに原則を決めていただいて,大体原則で第4月曜日の3時からは病院の会議。
A : じゃ,1時から3時で,1時から3時ならいいんですね。
D: 病院運営委員会のほうにはダッシュで行きます。
A : そしたら,いいですか,4月26日月曜日1時から3時で。
E: じゃ,毎回なるべくね。分かりやすい。
A : 原則ね。ええ。
 ということで,それではどうも,ちょっと10分経過いたしまして申しわけありませんでした。今日はどうもありがとうございました。またよろしくお願いいたします。